玄米釜

僕の玄米食との出会いは、10代の頃である。それほど丈夫ではなかった僕に玄米食を勧めたのは、母親であった。もう50年以上前のことである。しばらく玄米食を止めていたが、5年ぐらい前から玄米食を再開した。

 

僕にとって玄米食の利点は、次の2つである。ひとつは大便がきちんと出ること、そしてもう一つはご飯の量が減ることである。僕の健康は、この玄米食の利点によって保たれていると言っても良い。

 

さて、玄米食には玄米窯が必要である。50年前の当時玄米食と言えば、ワタナベ式圧力釜が唯一の道具であった。真ん中に圧力の重しがあり、楕円形をした蓋をねじ込んで止める構造である。

 

そのお釜は根強い人気があり、最近も掘り出し物がオークションで目にすることがあった。しかし、もうパッキングなどの部品もなく過去のものとなってしまった感がある。

 

僕が今使っている圧力釜は、パール金属製である。しかし構造は、昔のワタナベ式とほぼ同じである。

 

実はその昔、僕は母と一緒に、この玄米釜の研究所を尋ねたことがある。渡辺さんのそのお宅は、東京大田区東工大のグランドの裏にあった。「家中に玄米を撒き散らしながらお釜を考案しました」と言う言葉だけが頭に残っている。健康のために玄米食を普及させたい、と言う思いがあった。その思いは、今もその窯の形に残されていることを僕は知っている。

そして今

僕は人と同調することがあまり得意ではない。お酒も麻雀もゴルフも、人と馴染むためには必要なものかもしれないけれど、自分を無理して合わせる気にならないのだ。

 

仮にそうやって生きてきたら、有意義な出会いがあったかもしれない。もっと幅広い人生を歩めたかもしれない。

 

しかし、僕は、組織の中で徒党を組むことも、策略をねることも無かった。媚びへつらったりした記憶も思い当たらない。自分の世界だけで生きてきた様に感じる。

 

騙されたこともあった。病気で休んでいたこともあった。でも、こうやって70歳を迎えるまで、なんとか生きてこれたのだ。妻や子供達も元気に、道に外れることもなく過ごしている。ありがたい、感謝だ。

 

社会的な栄誉や勲章はないけど、今の僕は、気持ちが充実している。心の師と仰ぐ中村天風にも出逢えた。アインランドの哲学書は、僕の感じ方や思考方法がそれで正しいよと応援してくれた。そして何よりも、現代という時代が、自分の頭で考えることの大切さを教えてくれ、僕を休むことなく前進させてくれている。

 

 

 

 

ワクチンの嘘もバレました

昨日の及川幸久さんもニコニコ動画で、アメリカの嘘がばれたことがわかりました。さらになんとワクチンの嘘もバレました。

 

アフガニスタンの戦争は、アメリカの軍需産業のためのものでした。そして、ワクチンの嘘は、イベルメクチンを封鎖するYouTubeの真実でバレました。

 

ワクチン接種完了70%以上のアイスランドで、コロナ感染が広がっているのです。英国もアメリカも広がっています。いずれもワクチン接種推薦国です。しかし、ワクチンの入手が困難な財政が豊かでない国、インドやブラジルでは広がっていないのです。なぜなら彼らは、イベルメクチンを使っているからです。イベルメクチンの効果は、隠しようがありません。ですからその情報拡散をYouTubeを必死で止めるのです。これはワクチン利権です。

 

僕は早速、イベルメクチンも発注しました。トイレットペーパーの時もそうです、気がついた時はもう品物は無いのです。自分を、そして縁ある人を守るためには、自らの耳で、自らの頭で、情報を獲得しなければいけないのです。ある意味これは、神からの厳しい踏み絵なのかもしれません。

歴史は変わる

アフガン戦争の終結で、アメリカの嘘がバレました。アフガン戦争の20年だけでなく、ベトナム戦争朝鮮戦争、さらには太平洋戦争、全てが嘘でした。本日の及川幸久ニコニコチャンネルの動画でそれを確信しました。

 

もう迷う事はありません。人として正しい考え方を自信を持って進めましょう。アメリカも日本も、今政治を支配している人たちは、ほとんどの人が知らないうちに嘘をついたり、承知の上で嘘をついているのです。

 

今日のニコ生で、ウサマ・ビンラディンとブッシュJrが入魂の中であることがわかりました。作られた9.11、ひっくり返された大統領選挙、もうこれを陰謀論として迷う事はやめました。

 

本当にこれから、日本の時代です。ある意味、明治政府もイギリスの傀儡政権だったともいえます。しかし、その魂はまだ生きていたと言っていいと思います。先人の残した魂を、僕たち日本人は積極的に思い出して語りつないでいかなければいけないと思うのです。

 


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支配から共生の時代へ

現在は歴史的変換の時代だと思っています。ルネッサンスで開花した人間の力は、その後世界へ波及しました。西欧の人たちは、新天地を発見するや否や、それらを植民地として支配しました。略奪し現地の人間を奴隷として扱いました。

 

その根底には、新天地にいた同じ人間の形をしたものを、自分達とは違う生物であり、支配し奪っていいものであると言う感覚があったのではないかと思う。そもそも西欧社会の哲学の出発点、ギリシャ哲学は、奴隷制度を基本とした社会でありました。同じ形をした人間であっても支配していい、自分の所有物として良い、と言う感覚があったのではないでしょうか。

 

女性の取り扱いに関しても、それは男性の所有物であると言う雰囲気を感じます。万葉集の中に出てくる男女の関係のような、対等でおおらかな感覚は無いのではないでしょうか。そもそも所有と言う感覚は、日本人と西欧人では違うのではないかと思うのです。西欧人は、所有するということは支配することに向かい、日本人の感覚では、共に生きる事に向かうのではないか。

 

僕は、現代の社会変化と苦しみには、奴隷制度を基本とした支配の社会からの脱皮が根底にあるのでは無いかと感じるのです。その方向は、共存共栄の社会です。

 

 

 

日本の保守、流れが変わる予感

深田萌絵さんをゲストとして迎えた、6日21時の及川幸久さんのニコ生はすごかった。1時間半の内容は、どれも息を抜くことのできない中身の濃いものだった。書き込みも半端ではない。

 

深田萌絵さんの、単なる評論ではない、実体験としての背乗り中国人の話は、どんな彼女に対する誹謗中傷も消し飛ばしてしまった感がある。僕は、深田萌絵関連の話題は、真の保守か否かの踏み絵であると言ったが、言論界のみならず、政治・経済・官僚、そして司法の全員が踏まなければならない踏み絵となった気がする。

 

中国に媚びる連中はもちろんだが、本当のことを言いたくても口を封じられてきた、何かに忖度する知識人達も、その正体を明らかにしなければならない。もはや、過去の「大人」の事情は、不要なのだ。

 

来週の13日の及川さんのニコ生では、張陽さんがゲストであると言う。これは楽しみだ。今まで何も言及しなかった張陽さんがどのように発言するか、これこそ保守言論界の流れを変える1つかもしれない。

 

深田萌絵さんは、8日、10日と立て続けに講演をするようだ。政治に訴えるのではない、直接国民に訴えるしかないと言う彼女の発言には威力がある。国の流れを変えるのは、もはや政治ではなく国民であるとつくづく思う次第だ。

 

今回の及川さんのニコ生は、月間550円の登録も必要だが、その前半はYouTubeでも見れる。そのリンクを下に貼っておきたい。

 


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徒党から自分の時代へ

現在の世界の大変革の根底にあるのは、価値観の切り替えだと思っています。それを前回は、「損得の時代から魂の時代へ」という表題で投稿しました。この事を、社会構造の面から見ると、「徒党から自分へ」の切り替えだと見ています。

 

徒党と言うのは、あるリーダーがいて、彼をを信頼し彼に忠誠を誓う構成員とからなる集団です。その行動の基準は、その徒党の存続です。そして、その意思決定は、下部からの意見を参考にしながらも、リーダーとその中枢のメンバーが取り仕切り、決定後はメンバーが、たとえ意に反しても従うものであります。

 

従って、こう言う忠誠服従の構造の場合、個人の価値より集団の価値の方が力を持つことになります。しかし、その事が変わりつつあると思うのです。

 

僕は先日、「視覚」についての報道を見ました。それによると、ものの見え方は人によって大きく違うと言うのです。例えば「赤」であっても、はっきりと見える人、ぼんやりと見える人、他の色と混ざって見える人など様々と言うことです。また、物の輪郭についても、はっきり見える人からぼんやり見える人までいろいろな段階があるそうです。

 

しかしこのことは、種族の存続に置いて、とても大事なことであったと言うことです。輪郭がはっきり見える人は、獲物を見つけるのが速く、狩猟が得意です。赤い色が遠くに見えてもはっきり見える人は、果物をいち早く見つけ出せます。視覚の色々な能力が、種族を存続させてきたと言うことになります。

 

視覚に限ったことではありません。人間のあらゆる能力は、無限の段階を持ち、その寄せ集めである一人一人は、他にはない特別なものなのです。ですから、一人一人が自分の価値を見いだすべきなのです。一つの価値基準で決めてはいけないのです。

 

日本語には「自分」と言う素晴らしい言葉があります。自分、即ち、自らの分、です。世の中には、多くの人がいる。多くの能力がある。しかし、仕組まれた競争の中で特定の能力で一番になることには、価値がありません。自らの分を知っていることこそ価値があることなのです。そういう時代に変わりつつあるのです。今の大変革の苦しみは、この価値変革に気付くための産みの苦しみであると僕は思います。