徒党から自分の時代へ

現在の世界の大変革の根底にあるのは、価値観の切り替えだと思っています。それを前回は、「損得の時代から魂の時代へ」という表題で投稿しました。この事を、社会構造の面から見ると、「徒党から自分へ」の切り替えだと見ています。

 

徒党と言うのは、あるリーダーがいて、彼をを信頼し彼に忠誠を誓う構成員とからなる集団です。その行動の基準は、その徒党の存続です。そして、その意思決定は、下部からの意見を参考にしながらも、リーダーとその中枢のメンバーが取り仕切り、決定後はメンバーが、たとえ意に反しても従うものであります。

 

従って、こう言う忠誠服従の構造の場合、個人の価値より集団の価値の方が力を持つことになります。しかし、その事が変わりつつあると思うのです。

 

僕は先日、「視覚」についての報道を見ました。それによると、ものの見え方は人によって大きく違うと言うのです。例えば「赤」であっても、はっきりと見える人、ぼんやりと見える人、他の色と混ざって見える人など様々と言うことです。また、物の輪郭についても、はっきり見える人からぼんやり見える人までいろいろな段階があるそうです。

 

しかしこのことは、種族の存続に置いて、とても大事なことであったと言うことです。輪郭がはっきり見える人は、獲物を見つけるのが速く、狩猟が得意です。赤い色が遠くに見えてもはっきり見える人は、果物をいち早く見つけ出せます。視覚の色々な能力が、種族を存続させてきたと言うことになります。

 

視覚に限ったことではありません。人間のあらゆる能力は、無限の段階を持ち、その寄せ集めである一人一人は、他にはない特別なものなのです。ですから、一人一人が自分の価値を見いだすべきなのです。一つの価値基準で決めてはいけないのです。

 

日本語には「自分」と言う素晴らしい言葉があります。自分、即ち、自らの分、です。世の中には、多くの人がいる。多くの能力がある。しかし、仕組まれた競争の中で特定の能力で一番になることには、価値がありません。自らの分を知っていることこそ価値があることなのです。そういう時代に変わりつつあるのです。今の大変革の苦しみは、この価値変革に気付くための産みの苦しみであると僕は思います。