切磋琢磨(死ぬまで生きる(2))

今時代は大きく変化しつつある。正直の時代になってきたと思う。真の努力が要求される時代になってきたと思う。自らを自らの力で助けなければならない時代になってきたと思う。

 

僕は、令和の始まった昨年(2019年)5月1日から、新しい時代に際し始めたことがある。それは、朝の行である。それは心と体に宇宙の氣を流し、確固とした自分を養うためのものである。

 

実は、一昨年(2018年)秋から僕は半年ぐらいかけて庭に小さな畑を作った。何かそうせざるを得ない気持ちになったからだ。その時、僕は66歳、体力の衰えと腰の痛みを感じていた。氣力はある、しかし体力がなくなってきた。僕は、死というものを具体的に感じ始めたのだ。どうしよう、どうしたらいい、考えた結果である。

 

旧い家の建て替えの土地であり、地面の下は石ころと瓦礫であった。掘り起こしてはふるいにかけ、でも、一日30分以上はやらないという規則を設けてやった。腰をいたわりながら、一日少しでもいいから進めようとした。僕はこれをやりながら、自分のペースというものだ分かったのだ。そして、遠く幼児の頃から忘れていた土いじりの感覚を思い出した。土の中をはい回る竹の根の魔力と戦った。そして、僕は土の力を感じたんだ。よく春、僕はトマトときゅうりとなすの苗を植えることができた。

 

この経験は僕にとって大きなものだった。少しずつでいいから、毎日やらなければならないという事を知った。では何をやったらいいのか考えていた。ちょうどその頃、香港の民主化のデモが起きていて、これに僕は新しい力を感じたのだ。さらに山本太郎のれいわ新選組。これからは正直の時代、と直感した。

 

さて僕は、学生時代に友人から、中村天風という人物を教えてもらった。その教えの中に朝旦偈辞というものがある。それまではこれをやったりやらなかったりしていたけど、これを基本に僕なりにやることを追加して、令和が始まった時に朝の行として始めたのである。

 

その行をはじめて10か月、僕はこれを始めた時の思いは変わらない。今猛威を振るう武漢のコロナウィルス、多くの亡くなった方には痛ましいことだが、これも今の中国政府に対する何かの力を感じてしまうのだ。もう一度言いたい。

 

今時代は大きく変化しつつある。正直の時代になってきたと思う。真の努力が要求される時代になってきたと思う。自らを自らの力で助けなければならない時代になってきたと思う。

 

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