リーダーの力

昨日に続きリーダー論である。国のリーダーには誰もが成れる訳では無い。国のリーダーには国・国民を動かす力が必要である。それは何であろうか?

 

非科学的な言い方であるが、それは「天の声」ではないか。日本は永いことこれが上手くいっていた。だからこそ、2600年もの皇紀が続いているのだ。天の声とは、人の声ではない。ましてや身内の声でも仲間の声でもない。いまでは考えられぬことでもあるが、その昔は本当に天の声が聞こえたのかもしれないと思う。

 

遠く古代ギリシャでは、神殿を設け、巫女にしゃべらせ天の指示を貰っていたのである。その声を古代ギリシャ人は信じて、戦争をするかしないかも決めていた。良い悪いは別にして、古代の人達は、そういう声が聞こえていたのかもしてない。

 

古事記の表現にも、天照大神が国譲りを迫る時に、「この葦原中国は、我が御子の知らす国」とある。この「知らす」とは何であろうか。僕は文字通り、天の声を「知らせる」国なのではないかと思う。大脳皮質に支配された現在の世界ではとても考えられないことでもある。大脳皮質に支配されるに従って、その声はだんだんかき消されていった。

 

古事記が書かれたのは600年台であるから、先祖達はだんだん聞こえなくなる「天の声」を実感していたのではないか。だからこそ、国を「知らす」と表現し、即ち「治(し)ら」せたのである。この議論はあくまで僕の独断であるが、何かを「聞いて」いた事は間違えない。より、現代人にも納得する表現を使うなら、天の「氣」を感じるていたのである。

 

時代は過ぎて、武士の時代、日本の統治の仕組みは出来てきた。即ち、天皇という「天の声」を伝える存在と、将軍という統治の「力」とに分け、日本という国を存続させたのである。これは絶妙なる仕組みであって、そのような「天の声」即ち「天の氣」を持つことによって、将軍達は「力」を持ったのだ。つまり、時のリーダーが持つ力とは、天の声なのではないか。あまりに荒唐無稽なことではあるが、僕はこんなふうに感じている。

 

そして、その天の声をしっかりと生きる上での精神として磨き上げられたのが「武士道」なのではないか。