骨休め

妻と湯河原の温泉に来た。もしかしたら、10何年ぶりかも知れない。警備の仕事をして10年、その前の仕事も含め、10年以上ゆっくりと出来る状況ではなかった。

 

熱海で散策してから湯河原へ。熱海の雑踏に対し、たった一駅だが、ここは静かな風景である。駅前のレストランでホッと一息する。人影もまばらだが、かといって寂しい事はない、なかなか良い温泉地だと思った。

 

温泉につかって、大の字になって、座敷に転がる。普通ならじっとしていられない性分だが、起き上がる気持ちにならなかった。ああいい気持ちだ。そのまま寝入る。

 

夕飯はちょっとした懐石料理だった。1時間半も時間をかけて食事をする。これも、いつもの慌ただしい時間を、排除してくれた。ちょっと奮発して、利き酒セットを注文し、大吟醸を楽しむ。いつもは飲まない妻もちょっと口にする。

 

お腹も満たされて、またまた、敷かれた布団に転がってしまった。ゴロゴロしながら妻との会話は何年ぶりだろう。いつも寂しい思いをさせている事は知っているので、話を聞きつつも、眠ってしまう。普段はあまり感じないが、身体は休みを欲している事を知った。そして、この旅行を準備した妻へ感謝であった。

 

湯河原の 温泉宿の 部屋畳

はしゃぐ姿は 新婚の時

 

【帰宅後】

久しぶりの旅館であったが、床の間・掛け軸・障子・縁側の日本建築は、旅行でしか味わえないのだとつくづく思った。ましてや、現代の子供たちは、この様式を「外国」のように思うかもしれない。移り変わりの激しい時代、文化の伝承は難しいのかと思う。

 

それはさておき、今回の旅行で、長年の疲れを少し癒すことを得たと思う。頑張り過ぎてはだめ、年齢も考えないといけない。たまにはこういう時間を持つこととしたいと思った。

 

ここで、「養生訓(貝原益軒)」の戒めを書いておこう。

万の事、皆わがちからをはかるべし。

(何事も、自分の力の及ばないところで無理するな。自分の力量を知って行いなさい)

 

凡ての事十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽しみなし。

いささかよければ事足りる。十分によからんことを好むべからず。

(すべてを完全にやろうとすると、負担になって楽しめなくなる。多少でも気に入ればよい。完全無欠なものを好んではいけない)

 

若い頃読んだ養生訓は、年寄じみて受け付けなかったが、今になってみれば、心深く納得できるものだ。