台湾の歴史4(中華民国の統治から台湾へ、李登輝)

台湾の国家体制は、いわゆる3権分立という構造ではなく、1国2制度の立場からすると理解が難しい。ただ、大きな流れとして、中国の支配構造から、台湾人自身の選挙により総統を決める民主的方向へと進んで来たのである。そしてそれは、1996年、台湾人の李登輝が総統が選出されることで実現する。中国政府の1党支配体制の中、このような民主的体制を獲得できたというのは、奇跡に近いことと思う。

 

第二次世界大戦の後、台湾を統治した中華民国蒋介石)の手法は、外省人(大陸中国人)が本省人(台湾人)を支配することだったので、その統治が始まった直後1947年にニニ八事件が起きる。しかしそれは中国の弾圧によって鎮静されてしまう。大陸の大きな力には屈服せざるを得なかったのである。

 

でもこのことによって、台湾は目を覚ましたと思う。不屈の精神によって、僕はその根底に日本人の魂があったと思うが、李登輝は、地道に台湾の政治を変えていったのだ。立法院の腐敗と硬直の元であった「万年議員問題」を無血で解消させたのは、本当にすごいことだったのだ。

 

1991年5月に動員戡乱時期臨時条款を廃止し、戦後の戒厳体制が完全に解除された。これによって、初めて中華民国憲法を改正し国民大会と立法院を解散する。そして、1991年12月に国民大会、翌1992年12月の」に立法院の改選が行われた。この時、李登輝の粘り強い根回しのより、万年議員は全員退職することになったのである。 

 

李登輝は、日本の京都帝国大学農学部に学び、日本軍として太平洋戦争に学徒出陣している。そして現在も、その日本精神を持った、台湾の精神的支柱となっている。今年1月11日の総統選挙で総統となった蔡英文が、15日で97歳になる李登輝にその報告に行った時の2人のしゃし写真は、親子以上の繋がりを感じる。

 

催英文と李登輝

 

ドキュメンタリー映画「哲人王」で紹介される李登輝は、「私でない私」がいると言っている。単なる政治家ではなく、もはや神か宇宙に通じた哲人と言える。この精神力、これこそ僕が台湾に心を向けるきっかけになったものだったのである。