人類の不幸は、自分の頭で考えなくなってから

ユヴァル・ノア・ハラリは、著書ホモ・サピエンス全史の中で、人類は、弱い身体能力であったが、イメージを作る能力によって集団としての力を得て、生物の頂点に立ったと論じている。なぜそのような能力を持つようになったか、と言う議論は別にしても、結果としてそのような能力を得て生物の頂点に立ったと言う事は確かにそうだと思う。

 

そして、そのイメージを作るという能力は、人間が生物の頂点に立つまでは有効であった。しかしその後、その能力は、逆に身内同士の争いの元になったのだと僕は思う。

 

統率者のカリスマ性、宗教によって構成された意識構造などによって、人類は他の集団と戦い、歴史を作ってきた。その時兵士たちはどのような気持ちで戦っていたのであろうか。おそらく、そのカリスマ性や意識構造の作り出したイメージによって、戦うことが必然であり正しいと思っていたのであろうと思う。

 

そして現代、独裁者のカリスマ性や思想的偏見による戦争は、悪として認識されるようになった。しかし今どうであろうか。ヒトラーソ連の独裁を糾弾する意見はあっても、現代の中共の犯罪性を糾弾する意識はまだ中途半端だ。特に日本の政治家や経営者や知識人たちの中に、公然とそのことを口に出さない人が多いのだ。

 

このことを深く見るのに、社会の上層部に深く中共が入り込んでいて、彼らは公然と批判ができない。その理由は、経済的に生殺与奪の権利を中共に奪われているということだ。僕はそれもひとつの理由であるが、さらに言うなら、人として裏金や色恋の罠に嵌っていることも、大きな原因としてあげる必要があると思う。このように中共に首を締められた、メディアを含めた社会上層部が、国民を動かすために情報をコントロールし、中共は素晴らしいというイメージを作り、日本国民、そして世界を誘導しているのだ。

 

これはまさに、ヒトラーソ連の独裁や宗教による国民の誘導と同じ構造ではないか。

 

話を元に戻すと、人類は幻想と言うイメージによって生物の頂点に立った。それと全く同じ構造で、中共のイメージ戦略と言論の誘導によって、世界や日本が動かされ支配されようとしている。そしてこのことは、中共だけではない。社会主義と言う衣を着た、中共と同じ精神構造を持つディープ・ステートと言われる社会支配層がいるのだ。

 

イメージによって世界を支配した人類の能力を悪用する、中共を始めとする一部の人たちを排除する時が来ているのだ。そのためには、イメージによって地球の王者となったその能力を、正しく使うことを進めなければならないのだ。

 

それは、押し付けられたイメージではなく、生活の中で自分自身の中で作り上げたイメージで生きることを始めなければならないと言うことだ。指導者とか、知識人とか、経営者とか、権威者とか、そういった人からの言葉を鵜呑みにしてはいけない時代となった。そしてそれは、彼らの言葉を、その真実を確認することによって地道に進めなければいけないことなのだ。そして自分自身の頭でそのイメージを作っていくことなのだ。

 

これは、果てしなく難しいことかもしれない。しかし今、人類は、インターネットと言う、全ての個人が発言できる手段持ったのだ。全ての人が真実を知る可能性を持ったのだ。まだ充分では無いかもしれない。しかしこの機能大きく育てて、正しいイメージを全ての人が持てるようにする、自分自身の頭で考える社会構造にしていかなければならない。ある一定の割合の人類がそうなったら、世界はガラッと変わると僕は確信する。