作られた憧れ、アメリカ・西欧

僕の年代は、いわゆる「ビートルズ世代」です。中学3年の時ビートルズが初来日し、武道館で公演が開催されたのです。過敏な友人達は熱狂し、一大ブームとなりました。古臭いものから脱皮し、カッコいい、新しい感覚に酔いしれました。グループ・サウンズ旋風が吹き荒れました。

 

しかし、当時僕は、なくとなく取り残されたかんじがありました。新しい時代の流れだと思いつつも、そんなに熱狂しませんでした。憧れて同じような格好付けもなかったです。どうしてそんなに興奮するのか理解ができなかったのです。今聞き直せば、みずみすしく純粋な若い心の内を感じて、いい歌だなあと思いますが、当時の僕にはそう感じるほどの心の熟成がなかったのです。

 

そんなに理屈っぽく考えるなよ、感じ取ればいいんだよ、と言われそうですが、僕はこの様な少年だったのです。

 

しかし、一方、当時は、日本のものではなく外国のものがカッコいいという、有無を言わせぬ大前提があった気がします。服装も生活習慣もそうでした。穿(うが)った感想を言えば、あの熱狂は何か作られた風潮と感じるのです。

 

そう言えば、今持って、化粧品や服装のモデルには外国人(白人)が多い。何かそれをカッコいいと思う心の癖が残ってる。自分を相手に合わせるのではなく、相手の良い部分を自分に取り込む、古来日本人がやってきたやり方をそろそろ思い出すべき時が来たと思うのです。