現代のアポロン神の信託

ギリシャ中部の聖域デルフォイにはアポロン神殿があり、その神殿の巫女から発せられた神託(神の予言)は、古代ギリシャ人にとって真実とされ、人々やポリスの運命を左右したのです。戦争や植民などの重要決定は信託によって行われたのです。ソクラテスも37歳の時「ソクラテスより知恵あるものはいない」という神託を受け、それを確かめるために当時知者と言われた人々との対話を重ね、「無知の知」の真理にたどり着いたと言われています。

 

でも、僕は不思議に思いました。どうして、ギリシャ哲学を生み出した人々が、神託を信じ、運命のよりどころにしていたのでしょうか。しかも、ソクラテスまでもです。知恵と理性で考え始めたひとびとが、重要なこととなると神託に頼るのです。どうしてなのでしょう。知恵や理性の限界を意識していたのでしょうか。

 

僕は、当時の人々は、知恵や理性ではなく、「神の声」というものに絶大なる「力」を感じていたのだと思っています。神話に疑問を抱いたギリシャ人が、神の声は信じたのです。

 

しかし、この科学が発達した現代でも「占い」は社会の一部になっています。それを信じる人は、本当にそれで行動の時期や方角を決めています。手相や人相だって、たとえそれを信じていないといっても、気になっている人も多いのではないでしょうか。ここに、人間の心、もっと言えば脳の構造に不思議があると思います。

 

理性による論理性を重んじながら、非論理である神の声を聞く耳を、未だ捨てていないのです。神社に行って清らかな気持ちになる、手水を使い鈴を鳴らすことに抵抗がない、これらは僕たちの心の奥にある、神との繋がりの証ではないかと思います。

 

実は僕自身、Youtubeで、幸福の科学大川隆法の霊言を聞いて、なるほどと感じることが多くあるのです。トランプの守護霊の本音はこうだとか、習近平の守護霊がこう悔やんでいたとか、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、なるほどなぁと思う時があります。

 

世の中は、ロジックだけでは動いていないのです。非ロジックを無視しては、人も社会も理解できないのです。逆に、ロジックだけで押し通そうとすると、おかしな事が起きてしまうのだ、という気がします。