政治を生活の糧にするな

政治の世界は、他にはない大きな特徴があります。それは、政治に関わる人は、いつも全員であると言う事です。一度決定したら、それまで反対してた人も、対立し合っている人も、いや喧嘩している人であっても一緒にやっていかなければならない世界なのです。

 

趣味の世界やサークルはもちろん、仕事の世界であっても、対立関係があったら、別れて進めばいいのです。政治の難しさは、嫌でも別々になることができないことです。

 

だから、とことん議論をし、お互いの利害を調整し、進めていかなければならないのです。不満がたまれば、分裂や内紛となります。他の痛みを分りあって、将来を見据えて進まなければいけない世界なのです。ですから、十七条憲法の「和もって貴しとなす」と言う精神こそ、政治の基本にすべきことなのです。日本は、もう千年以上も前から、このことが国民の精神であったのです。島国で、外から攻め込まれることがなかったことが、このような土壌を作れたとも言えます。

 

大陸のように、いつどこで敵が襲ってくるかもしれない地形であったら、このような呑気な事は言っていられなかったかもしれません。他人を敵と見なし、争いが基本の世界となっても、仕方ないかもしれません。しかし、人類にとって、地球がこれほど狭くなってしまった今、争いを基本とした考えではもう成り立たなくなってしまったのです。

 

狭くなっただけではありません。人々の関係は複雑に絡み合い、その調整は非常に難しいものになっています。

 

これが現実の世界であることを認識すれば、ますます、和をもって貴しとなすと言うことが重要になってくるのです。僕は次のように考えています。

 

政治を生活の糧にする事はやってはいけないのです。収入を得る手段が政治であれば、その収入を減らす政治はできないのです。ですから政治をやる人は、まず自らの生活するための収入を、政治以外持っていると言うことです。極端に言えば、政治家は無収入です。そういえば、トランプ大統領も、給料はもらっていなかったとも、大半を寄付していたとも言われています。

 

でも政治たる人は、何らかの組織に属し、その利益をもらっています。その利益を確保する事は当然でしょう。しかし、政治家としての収入は、限られた少額にすべきです。政治家は、札束によっても、脅しによっても、さらにはハニートラップによっても左右されてはいけないのです。常に全体の立場を考え、高貴な判断ができなくてはいけないのです。まさに、和の世界です。

 

国民が、そのような政治を監視すべき時代となりました。人類が、和をもって貴しとなすと言う精神世界を目標とすべき時節となったのです。宇宙に神がいるとしたら、それを達成できるかを見守っていることでしょう。