「世の中カネでどうにでもなる」から足を洗う

どんなに不正をやっても「カネが一杯貰えるよ」と聞けばそちらになびく時代は、過去のものになりつつある。どんなに人格的に惨めでも、カネを集められれば重要視される政治の社会。プロスポーツでは勿論その技量が大事ですが、それで桁外れの収入が得られる。これだって、その技量でいくら「興行利益」があるかということの競争なのです。カネで価値を計る、何と貧しい価値観でしょう。

 

価値がカネで集約されるなら、カネでしか評価基準が無いのなら、それは殺伐とした社会でしかない。はたして、今の中国社会がその答えを見せているではないですか。

 

国民の幸せより自分達の懐を肥やすことを優先し、カネになるなら人体の臓器をセールスし、カネで弱い国を従わせ、利益のために領土を膨張せんとする中国。これで、この国の人は幸せと言えますか?もう、いい加減うんざりだというのが、世界の見方です。世の中カネ次第という事が、いかに欠陥構造で会う事に気がついてしまったのです。

 

カネだけを価値基準にしてはいけない事は明白です。日本にも蔓延る、それでも世の中カネ次第という考えに固執する輩を、国民の力で排除しよう。そして、カネではない、いろいろな価値基準を認める豊かな社会にしていこう。優しさ、勇気、誠実など人の心に根ざした価値基準を持ち、花をたくさん知ってるとか、歌が上手いとか、カレーライスを作ると天下一品とか、笑顔が綺麗とか、子供と遊ぶのが上手とか、口笛が上手いとか、いろいろな価値を心から受け容れる世の中を作っていこう。