薬天国から心身を守る

職場の同僚が、突然、心筋梗塞で緊急入院をしました。カテーテル手術で一命を取り留め、3週間で回復できると言う事です。とりあえずほっとするとともに、あることを思い出しました。

 

それは、その同僚が見せてくれた、毎日飲む薬の量です。血圧、コレステロール不整脈等など、手のひらにいっぱい入っていたのです。僕はびっくりするとともに、哀れな思いがしたものです。本人は、こんなに飲むのは嫌だとは思いつつ、健康に対する不安から止めることができない様子です。

 

その薬の量と、今回の心筋梗塞との関連はわからりません。でも僕は、その薬に縛られた不安こそ、心筋梗塞の原因ではないかと思ってしまうのです。

 

さて僕は、いわゆる生活習慣病対策と対処療法を区分して考えています。確かに、今回のカテーテル手術は見事でした。これこそ、現代西洋医学、対症療法の真骨頂です。それにより一命は取りとめました。しかし、健康を取り戻したとは言えないのです。新なら恐怖を加えつつ、大量の薬と不健康とに戦い続けなければいけないのです。

 

実は僕は、40代の頃高血圧でせた。上は180、190、下は110、100といった具合でした。さすがに頭が少し痛い気がして、医者を訪ねました。それほど強い薬ではないが、まず体に合うか試していきましょう、と言って薬を処方されました。何週間か飲み続けましたが、変わりは無い。そして薬の量が増えました。

 

僕は直感したのです。こうやって薬が増えていくのだと言うことを。そして、薬では血圧が下がらないと言う事にも気がついていました。だって、原因は仕事にあるのだから。その頃の仕事は、取りまとめと、締め切りと、厳しい納期や条件に縛られていました。気が休まる間は無い。そもそもこれを薬で直そうと言うのが間違いなのです。治すのではなく、薬で無理やり血圧を下げようとしているのです。

 

僕は薬を止めました。そして、気を鎮めること、体をリラックスすること、気分をを転換すること気持ちを向けるようにしました。それが直ちに功を奏したわけではありません。ただ、薬は飲み続けるより、これが正しいと思ったのです。一瞬でも心身をリラックスさせ、不安感に包まれない様に努力をしました。実は、薬で血圧を抑えようとする不安より、この方が心が落ち着いたのです。

 

高血圧は、体の緊張による凝りに対抗して、一所懸命血液を送り出そうとする、健気な身体の努力でした。そして、時間はかかりましたが、心身に配慮する事で、症状は次第に治まってきたのです。

 

これ以外にも、年齢を重ねると色々な症状が出てきました。その都度、僕は、自分の身体に聞いて、工夫しながらやって来ました。試行錯誤の結果、僕は次のような健康法で、身体のほころびをつぐなっています。

 

字が読み辛くなってきたことに対しては、3D画像で視力筋肉を保持しています。腰痛には、プランクで背骨の筋肉を鍛えることで改善しています。歯周病は、上顎下顎のマッサージで改善しています。誤飲などの喉の衰えに対しては、舌の運動を工夫しました。そして将来的には、カンツォーネ等の歌を練習しようかと思っています。脚の筋肉の衰えや血液循環の低下には、ヘビーウォークを時々やります。体の硬さには、自分に合った無理のないヨガのポーズをやっています。等など。

 

体の機能の低下に対して、身体に聞きながら自分に合ったやり方を探してきました。僕は、今年70歳になりますが、薬は飲んでいません。血圧も安定しています。メガネなしで本が読めます。

 

たまたま、僕はうまく行ったのかもしれません。元々、健康な体を授かったのかもしれません。でも、薬や、コマーシャルや、世間の話ではなく、自分の身体の声をまず第一に聞いてきたことが、その要因だったと感じます。世の中の、健康に関する不安の声に一々耳を傾けていたら、健康な体であったとしても、現在のような僕にはならなかったと思うのです。

 

健康に対する不安に押し流され、薬や他の声に頼る心になったら、健康は離れていきます。これは、もしかすると、人生そのものについても言えることなのかもしれません。残念ながら僕の場合、これについては健康ほどには成功していませんが(笑い)。

 

人に尋ねても、頼らない、自分自身の足で歩く。今までの、浮き草のような、茶番をくりかえす世の中が限界に来て、真実を求める風潮を感じています。自分の足元を見る、仏教で言う自灯明とは、こう言うことではないでしょうか。