命と魂

僕は昨日、自分の身体は「借りたもの」であると気がついた。よくよく考えてみると、これは極めて日本人的な感覚である。たとえば、西欧的な感覚では、この肉体こそ自分であるとういう意識が強いのでなないだろうか。だから、身体を「借り物」と感じるのも、多くの中の一つの感覚なのである。皆んながこの意識を持つものではないことも知っておく事は大切である。

 

さて、僕は、この借り物である自分の体について思いを巡らせると、もしかして「命」も借り物なのではないかと思った。命とは、この世で生きるための活動の基である。そして、その命は肉体の死と共に消滅するものである。だから、体が借りたものなら、命も借りたものなのではないか、そう考えてみた。これはなかなかいい感覚だ。なんだか、自分というものが、客観的に俯瞰して見れるようになる。

 

だとすると、命の借主は魂という事になる。僕の魂は、この命という活動のもとを頂き、具体的のこの世で行動するための身体を頂いているのだ。手足を動かせるのも身体を貸してもらっているから、考えることができるのも頭を貸してもらっているから、成長して、より新しい考えに進んでいけるのも命というものを貸してもらっているからなのだ。

 

今の僕の生命や身体を振り返ったら、わがままを言ったり、不平を漏らしたりとても出来ない。確かに今の自分は健康であるからそう言えるのだが、仮に具合が悪くても、この感覚を持ち、生き続けられるよう修養していきたいと思う。