新しい社会の共通認識、価値

僕たちは、生まれてからこの方他人との比較において、自分の価値を決定してきた。自分以外に価値基準があり、それをもとにして自分の存在意味、つまり価値を決められてきたのだ。そういう共通認識で、社会は支配されているのだ。

 

しかし、新しい社会の共通認識としては、生まれてきたこと、存在すること、それそのものが価値なのだ。能力が劣っていても、社会的資格を持ち合わせてなくても、生まれてきたと言うことで価値を認めていかなければならない。

 

社会の共通認識として、この世は地獄だ辛い重荷を背負う、といった認識がある。これはもしかすると、支配層の都合による認識なのである。つまりこういう認識こそ、生まれてきたことを価値あること認められない根本なのだ。そして、価値を"比較"によって作り出すのだ。

 

もうこのような認識はやめよう。このようにして作られた認識は、社会を辛くし分断し、支配層の都合良くなるだけなのだ。子供たちを見るがいい、走れること、動き回れること、新しく発見すること、それだけで楽しいのだ。それだけで生きている価値を感じているのだ。僕たちは、この宇宙生命のもともとの認識に戻らなくてはならない。押し付けられた支配層の認識はもうやめよう。比較による価値は、もともと存在しなかったことに、気をつかなければいけない。