大衆は支配されるべきものか

人類の歴史は、少数の支配層が多数の人間を支配する、という構造でありました。支配する者は、ある時は宗教の首長であり、ある時は武力の首長であり、ある時は政治勢力の首長であり、そして今は富を集中した勢力である。こんな風に見えるのです。そして常にその支配層の少数は、自分たちの存続のため、大衆をコントロールしてきました。大衆が目覚めないように情報を制御し、反抗できないようにしてきました。

 

僕は、この構造そのものが、今壊れつつあると思っています。もはや、少数が多数を支配することが出来なくなってきたのです。そもそも、いままでの「支配」という方法が出来なくなってきているのです。支配には上下関係があります。殿と部下がいるのです。しかし殿たちは殿たちの都合があり、お互いを敵同士としながらも、存続のため裏では共通の仕組みを堅持してきたのです。それが、「多数を支配する」という構造です。

 

いま、インターネットが普及し、多数を無教育にして情報を渡さないという従来の戦略が不可能になってきました。今の少数は、その自身の存続と未来のために、支配構造を存続しようとしても、科学技術がその支配層の能力を超え、制御できなくなっています。支配を強めようとすればするほど、多数は目覚めてしまう矛盾に出会っています。

 

僕は、アメリカの保守(共和党)対リベラル(民主党)の対立は、究極は、多数を少数が支配するか否かの対立であると思います。僕は、トランプの進めている政治は、多数が少数を支配する構造を否定する方向に向かっていると思うのです。トランプは今までのどんな政治勢力とも違っています。だから、下品とか常識がないとか、メディアをはじめとする今の権力側に非難されているのです。

 

現在、世界は、多数が自身を支配する構造を目指している、僕はこう感じます。