被支配から覚醒へ

怖い夢を見た。夢の中で僕はプログラムを開発者だった。突然呼び出されて、新しいプロジェクトの資料を見せられた。分厚い資料だった。僕は、半分頭が動いてない状態でその資料を眺めていた。何時間か経って、僕は広いテーブルの前に座っていた。僕の前には、何人かのリーダーと思われる人たちが座っていた。ひそひそとおしゃべりをしている。やがてひとりが僕に、資料を見たかときいた。無言の圧力に押され、口ごもっていると、やがて、君には難しいかな?と言われた。

 

能力不足だ。努力がたらない。もっと若い人が良い。無言の圧力に息苦しさの中で、僕は目が覚めた。組織の中で、ひとりで戦う自分を見た。組織は生き延びなければいけない。その中で不要な個人は切り捨てられていくのだ。

 

努力もしている。家族のために身を削って働いている。そのために人を傷つけたり、陥れたりしていない。真面目で、精一杯生きている人達が、経済や社会構造の闇で、損得だけで追いやられていく。

 

金融システムやディープステートなどの、裏の仕組みが暴露されてくる中で、ひょっとしたら損得による支配の仕組みが作られているのかもしれない。結局、お金に縛られた社会は、損得で判断するしかないのだから。

 

富の集中もいけないが、かと言って、お金のばらまきもいろいろな問題を想定しなくてはならない。経済活動や新たな格差ができるかも知れない。結局のところ、損得の規範を残したままなのだ。

 

と言うことは、損得の仕組み自体を止めなくてはならないのだ。社会が、損得という価値観ではなく、倫理道徳とか、人の道とか、神の意志とか、天意とか、要するにもっと高い価値観を規範にしなくてはならないのだ。こんな事、現代社会ではばかげた空想と言われるかも知れない。しかし、もしかすると、支配者層は、そう思わせるように世の中を仕組んでいるのかも知れない。僕はそんな気がしてならない。そして、この仕組み、損得の価値観を打ち破れるのは、個々人の覚醒しかないと思っている。

 

トランプの神への誓いとか、これからの未知の旅が始まるとか言う言葉の意味は、ここにあるのかも知れない。