整える

母が昔住職をしていた寺の掃除にやってきました。寺まで伊豆半島東側135号線を走ります。3月29日、昨夜の雨にも耐え、135号線の道沿いには満開の桜が点々とありました。こんなにたくさんの桜があったのかと思いながら、夕刻の道を走りました。桜の花のうっすらとしたピンクが、夕暮れの道を案内するかのようでした。

 

今年の暮れで70歳、いろいろあったけど今の自分のためにこうやって生かされてきた思いがあります。今までの自分の積み重ねの結果が、今の自分です。華やかな人生とは決して言えません。その時その時を降りかかる矢を、振り払い振り払い生きてきました。今思うと、その一瞬一瞬が、人生の岐路でもありました。でもそんな事は思いもよらず、その時は必死でありました。

 

学生時代の事、病気の事、妻とのこと、子供とのこと、そして何回かの転職、それらを伝って僕の糸は今につながっています。それら全てが今の自分を支えている気がします。これら全てが、切れることもなく、今の僕に流れている。そして感謝です。

 

ハンドルを握るこの車も、妹が連れ合いを亡くしたあと僕に預けたものです。コロナ禍の中でも、警備の仕事は続けられている。シフトを都合してもらって、こうやって月に一回寺の掃除にやって来れます。

 

廃屋となった寺も、一時は滞納で競売寸前でした。友人がそれを助けてくれました。住職であった母は、認知症となりさらに片脚切断と言う憂き目にもあいましたが、93歳の今も元気で生きています。その年金も、お寺の片付けを手伝ってくれています。一時は放棄しようと思った寺ですが、それをさせないようにしているような気がします。

 

やりっぱなしはいけない、一つ一つ整理して整えてけじめをつけていかなければならない、そういう思いがハンドルを握る手からやってきました。