新しい社会の共通認識、日本人の桜精神

僕は日本人です。日本人であることを誇りに思います。でも、そのように強く思っている日本人は、どのくらいいるでしょうか。安全、社会的インフラ、医療衛生環境、交通機関等、日本は安心して暮らせる国の一つです。その有り難さを、僕たち日本人は、本当に理解しているでしょうか。そして、それは、日本人の国民性に拠っていると思います。日本を作った先達達の努力と、残してくれた文化に、感謝しても足らないことと思います。

 

日本という国に対する誇りと感謝を、新しい社会の共通認識に加えたいと思います。戦後教育で育った僕達は、日本を誇りに思う風潮ではなく、戦争を起こした、西洋より劣った民族であるという感覚で育った気がします。僕達は、民族性や文化にしっかりと根ざした気概や気骨を持たないまま、大人になってしまったのではないでしょうか。戦後とか、明治維新とか、短いスパンではなく、この日本という島国で、何千年と綴られた歴史の重みを感じるべきです。

 

天安門事件という、全体主義の過酷な体験を経たYouTuber張陽氏は、日本という国を発見し、その武士道精神に触れて日本に帰化しました。その点から言うと、日本人より日本を深く理解していると言えるでしょう。その精神に基づいて、世界の情勢を発信してくれています。その彼が、武士道精神を桜の花に託して説明してくれています。

 

桜の花は、満開になってその頂点にたった時、パッと散るのです。萎れて落ちるのではなく、その全盛期に散るのです。張陽氏は、このような花は、桜以外には無いといいます。桜の花に、人生のどんな頂点にたっていても、仁と義と弱者の為に、惜しげも無く命を散らす武士道精神を見たと言います。

 

命より大切なものを知っているから、それが可能なのだと思います。名誉とか忖度とか利害などではなく、もっと大切なことを心得ているからなのです。これを、古いとか、野蛮だとか、批判することは容易いでしょう。しかし、批判するなら、本当にその真意を理解した上で行うべきです。

 

僕は、行き詰まった現代の、お金第一の風潮を打ち破るのは、この桜の散るような精神しかないと思うのです。眠れる武士道精神を発見することこそ、日本人の責任とさえ思います。

 

乃木大将が、明治天皇防御の時自決しました。何とこれには、奥様も一緒に自決されたということです。なんと壮絶な生き様でしょう。僕なぞそのような精神性に触れたら、感電死してしまいそうです(笑い)。でもそのような先人を持っていると言うだけで、西洋知性に覆われた現代の厚い壁を突き破れる気がします。