人と動物の違い:マウンティング

人は、大きな社会を構築するために、意識を作り出した。これで、自分自身を客観的に見る事ができるようになり、社会の中で自分の位置づけが可能となった。動物の集団の限界を超え、万単位・億単位の構成員を持つ社会を作る事が可能になった。もちろんその前提として、言葉による意思伝達、文字による記録や伝承、道具の作成や農耕などの自然との共生があった。

 

しかし、どんなに社会が複雑になっても、マウンティングというボスへのお世辞と服従の仕組みはそのまま残ったように思う。政治の世界を見ても、経済の世界を見ても、学問の世界だってその仕組みは残っているのである。ボスへの忠誠と服従により、人間は組織を守り、他の勢力と競ってきた。そして、その根本は、力による支配なのである。即ち、最後の解決手段は、力、場合によっては暴力なのだ。力により身内も敵も押さえるしかないという、動物からの遺伝子が人間にも残っているのである。

 

約3000年前人間は、意識を持つことにより、社会秩序を保つ工夫をした。そしてそれは成功した。しかし、いま、人間は新たなる試練を迎えている。それは、力による支配からの脱却である。動物的マウンティングから、人間としてのマウンティングへ飛躍する事を試されていると思う。

 

力による支配に代わるもは何であろうか。力という物理的・肉体的ものからステップアップする先は何であろうか。僕は、それは精神的なもの、高い精神性であると思う。その最たるものこそ、武士道精神であると思う。日本人は刀を持ちながら、精神性を高め、武士道という境地を作り出した。それは、刀という武力を取り去っても活き続けるものである。

 

武士道という日本精神は、力による支配から、高い精神性による支配への道標になると思う。