宇宙からの声

僕は先日の投稿で、黙々と客車を引っ張る機関車に荘厳な力を感じたと書きました。それは遥か遠い世界からやってきた感覚でした。それはどんなに言葉を尽くしても人には伝わらない、僕だけのものです。

 

さて先日僕は、張陽さんの100回目の投稿「桜 花之世界の侍」を見ました。その中で張陽さんは、桜の散る姿に釘付けとなり、その中に侍の武士道精神を感じたと言っていました。彼は、天安門事件で生死を分けた体験を持ち、その後日本に来て武士道精神に目覚めたのです。きっとその長い心の旅の中で、桜の花の落ちる姿を見たとき、武士道の真髄を感じたのでしょう。しかし、僕たち張陽さんの投稿の読者は、言葉としては理解をしても、張陽さんの心の中に起きた波動は感じることはできません。

 

言葉として伝え合うものは、あくまでも言葉と言う言語ロジックで理解しあうものです。波動そのものは伝えることができません。僕はそれを、宇宙からの声と呼びます。

 

張陽さんの場合も、僕の場合も、感動を覚えたときの心の状態は、その瞬間宇宙からの声を取り入れる扉が開いていたのだと思います。

 

古来、歴史に残る聖人たちは、神の声・天の啓示を受け、悟りを開いたとされています。おそらくその瞬間、彼らは宇宙からの声を聞いたのだと思います。

 

でもよくよく考えてみると、このような宇宙からの声は、人生のどこかで誰もが聞いているのではないでしょうか。ただそれを忘れてしまっているだけなのです。何か深く感動した、無性に涙が出てきた、そういう瞬間は、誰もが経験してるのではないでしょうか。もちろんそれには条件があります。悔しさとか恨みとか怒りとか、そのようなマイナスの感情ではなく、溢れ出る喜びとか明るさとか、そういうプラスの感情を伴うものでなければなりません。

 

前向きに一生懸命何かを考え続けた時、ふと心の扉が開いて宇宙からのエネルギーが身に入ってくると思うのです。これはまさに、中村天風の教えですが、僕はそのことを同意します。先々の見えない不確かな時代だからこそ、強い心で生きるために、宇宙からのエネルギーを身に注ぎ込むことが大切なのではないでしょうか。そしてこれこそ信仰心に通ずるもののような気がします。