武士道解題(李登輝著)から学ぶ

武士道(新渡戸稲造著)と武士道解題(李登輝著)が本立てに並んだままでいました。新渡戸稲造の「武士道」はざっと目を通しましたが、何が本質なのか、僕としてはとっかかりをつかめないままで、結局放り出した状態であったのです。

 

しかし、先月李登輝が亡くなり、その功績を見るにつけもう一度と思って、今度は李登輝の「武士道解題」を手にしました。この本は2部構成となっており、第一部が日本的教育と私、第二部が「武士道」を読む、となっています。第二部は文字通り、新渡戸稲造著の「武士道」を逐語的に読み進めていく内容です、これに対し、第一部はその背景、すなわち稲造の精神的軌跡を解説しているのです。その記述を持って、稲造の内面の葛藤がよくわかりました。また、李登輝がいかに新渡戸稲造に私淑していたかがわかります。

 

稲造は日本の武士道は明治維新によって形は無くなったが、その精神はまだ残っており、それを後世にも伝えたいという思いがあったようです。そして、その精神を受け継ぐ李登輝は、今度は失われゆく日本の精神を気にかけていたようです。

 

『旧制中学や高校の学生たちは、徹底的に本を読み、哲学をしていた。実に真剣に「人生とは何か」とか「人間いかに生きるべきか」などといった大命題に真っ向から向き合っていた。そして、それが日本という国の本当の”強さ”につながっていったのだと思うのです。』

 

『このような素晴らしく思索的で哲学的な雰囲気が、戦後の日本教育の中でほとんど否定されるようになったのは、かえすがえすも残念でなりません。』

 

李登輝はこのように書いています。李登輝自身の精神的葛藤を知れば、今の日本にどれだけ同じような精神性があるのだろうかと、窮してしまいます。この本の中で紹介されるのは、稲造をはじめ、内村鑑三西田幾多郎鈴木大拙倉田百三、さらにゲーテやカントやカーライルなど、よくもこんなに学んだのだと思います。少しでもいいから、かつての真剣な日本の魂を思い出すべく、僕も何か実践をしていかなくてはならないと誓いました。