心とは

僕は、僕の肉体は僕のものではないと思っている。それは、大自然からの借り物である。だから、脳だって、僕ではないのである。大自然から借りた脳によって、「僕」は借り物のぼくを思索し、考えている。では、その「僕」とは何か。それは、借り物のぼくを見ている意識である。借り物のぼくを、外から見ている意識こそ僕である。だから、肉体はあっても、意識がなければぼくは存在できない。以下は、この様な出だしを持って考える、独断的な僕の「心とは」何かと、今世界で起こっていることへの考察である。

 

さて、その意識は、「僕の心」を見ている。いったいその「心」とは何であろうか。僕は、そもそも、その心も自分ではないと考えている。心とは、この肉体に起きている、ある種の気の動きである。僕は、それを、想像の気とか創造の気とか名付けておこう。しかし、その借り物の心の気を、人類だけが動かすことができるのである。良くも悪くも、明るくの暗くも、勇気も臆病も、である。

 

宇宙は、その「原始の気」の力を持って、電気や磁気や色々なエネルギーのもととなる気を作った。それによって、天体を作り、生命を作った。そして、ある時から、生命に肉体を制御できる力を与えた。それは、動物である。しかし、宇宙は、さらに、気を制御できる生物、すなわち人間を、作ったのだ。ここに、肉体も気も制御できる人類という生物を作ったのだ。

 

一体全体、宇宙は何故この様な、気を制御できる生物を作ったのであろうか。僕の勝手な想像であるが、それは、気の動きを加速させようとしているからなのだろう。事実人類は、電気や火気をコントロールできる様になって、自然を大きく変える事をやった。さらに、想像の力によって、自然には達成できない世界を作ったのだ。高層ビルや飛行機や、原子力までも。

 

もしかして、ここまでは、宇宙の考え通りなのかもしれない。気を使う事を人類に許すことによって、宇宙は何をしようとしているのだろう。もしかして、宇宙は冷徹に、人類の行く末を見ているのかもしれない。意識は、心を、即ち宇宙の気の流れを、想像力や創造力のよってコントロールできる。しかし、意識は、その持ち様によって、光にも闇にも、建設も破壊も、どちらにもできるのである。闇と破壊を選択すれば、人類は滅ぶしかない。光と建設を選択すれば、もしかしてこの世の天国を実現するかも知れない。どちらを選ぶにしてもそれは、宇宙の意思なのかもしれない。

 

僕は、心も宇宙からの借り物である、と考えている。だから、自分のものと思って、勝手やり放題すると、肉体が崩壊すると同じ様に、その個人も社会も崩壊するのである。心は敬虔な気持ちを持って、使うことの心掛けなければならないのである。

 

いま、アメリカで起きている戦いは、まさにこの心の使い方の戦いと感じる。「正しい心の使い方を人類が選択できるか」を問われているのである。共産主義思想の様な、好き勝手な心の使い方を意識が続けたら、人類は滅ぶしかない。何故なら、宇宙は、光と建設へ向かうことが本来の意思であるから、それに反するもには滅ぼすのである。そういうことからも、トランプ大統領は、神の使者と言ってもいいと思う。