自分とは何か

僕の人間の認識論を語ってみたいと思います。まず、今ここでしゃべっている僕は、肉体と心を大宇宙から借りた結果としての存在と思っています。また、宇宙とは、気によって成り立っていると思っています。中村天風流に言えば、その気とは、宇宙霊と言うことになります。物に気が宿ることによって、エネルギーが生じ動きができます。電気や磁気や引力もその一つです。ですから、肉体と心に気が宿った時、生命の活動をすることになるのです。

 

では魂とはどのような存在なのでしょうか。僕はこう考えます。車で言えば、肉体はエンジンやタイヤやアクセル・ブレーキそしてハンドルです。給油されたガソリンが気です。ドライバーが魂なのです。では心とは何かと言うと、天と交信するアンテナであり、取り込んだ気を制御し魂と交信する装置です。

 

魂には、肉体も心もありません。ですから魂は、心を通して天と交信し、気というエネルギーを取り入れ制御し、肉体を使って自分や物を動かして、自分のすべきことを実現するのです。

 

心の動きによって、取り込む気の性質や量が定まり、肉体の動きも違ってきます。たくさんの気が流れ込めば、エネルギッシュになり、そうでなければ影の薄い人間となるのです。健康や若さもこれによってコントロールされていると思っています。

 

ですから人間と言う車がしっかりと走るためには、車体である肉体を整備し、心を使って上手に気をコントロールをしながら、運転していかなければなりません。僕は、心と言うものは、肉体以上に人生を決める大事なものであると思っています。そして、人間のみ、この心と言う、気を制御できる器官を持つ生命なのです。つまり、他の動物に、心と言うものがあったとしても、気を制御できるスペックは無いのです。

 

魂が運転席に座り、気のエネルギーを使って、車を動かし始めた時、意識が生まれます。意識は、意識自身を自分と感じますが、そうではありません。自分とは、運転をしている魂であり、意識とは、その魂を心に映しだした映像です。荒い運転も、優しい運転も、慎重な運転も魂が持つ気質次第です。その運転によって得た結果を、心を通して魂は経験をし、修正していくのです。

 

自分とは何かと言う問いに対し、僕はこのような構造を持って考えています。ですから自分とは、心も肉体もない、黙念とした魂の持つ、性質や傾向だと思っています。