体の健康もたいせつだけど、心の健康が基本

健康に関する情報が、たくさん目につく。健康食品やサプリ、ヨガや運動、減塩や低カロリー食品などなど書籍や報道で溢れている。これらをよく見てみると、健康とはすなわち肉体の健康と言う考え方が見えてくる。しかしこれはおかしい。肉体も健康でなければいけないが、心も健康である必要があるのだ。

 

心が生き生きするサプリや、心が元気になる運動といったものは目にしたことがない。心の問題を扱う事は難しい、心の問題は個人の内面の問題だ、といった意識が世の中の公然たる秘密である。しかし周りを見て、気力に溢れ生き生きとし充実した心で生きている人がたくさんいるだろうか。経済的問題や対人関係などから、不安とか怒りとか不満を持っていたり、さらにははこれ以上人生も世の中も良くならないと言って、無気力で政治的無関心に陥っている人も多い。

 

これらはどうしようもない現実なのであろうか。人間として避けられない運命なのであろうか。僕は赤ちゃんが元気な声で生まれてきて、楽しくはしゃぎまわって幼年時代を過ごし、それがどうして大人になると違ってきてしまうのが不思議である。これは当然なことなのであろうか。大人になれば知恵が付き、もっとよく生きるようになるのではないだろうか。このことをどうして疑問に思わないのであろうか。

 

この心の不健康は、社会的あるいは政治的に作り出されたものと言う気がしてならない。心は太陽に向かえば自然に元気で明るくなる。しかし、不誠実で人間の汚い面ばかりを見せられると、心は活力を失い無気力となる。歴史上の支配層は、それによって得をし、政治的権力を行使するのに都合が良かったのではないだろうか。

 

実はこの現実を今回のアメリカの大統領選挙は、はからずも暴露してくれた。政治も司法もマスコミも腐敗しきっている。これでは心が元気で明るくなるはずがない。僕たちは無気力に仕向けられていることに気づき、奴隷化された無気力から脱却しなくてはならない。

 

社会的政治的な真実に目覚め、太陽の光へ向かえば、心は元気になり、感謝に満ち、他人を思いやり生活できるようになる。世の中には宇宙には、真実と言う太陽があるのだ。真実の光を浴びれば心は必然的に元気になる。心の健康は、個人的な問題ではあるが、作られたものであるということを忘れては本当の解決にはならないのだ。心の鍛錬や修養は、もちろん基本であるが、政治的仕組みに目覚め真実に目覚めることも心の健康の基本なのである。