女性の社会進出は社会発展の条件か?

世界の報道を見ていると、女性の社会進出の度合いが、社会の進歩を示しているという意見だ。男性だけの組織であったところに、女性が「進出」することは喜ばしいこととして紹介される。男も女も「同じように」仕事をすることが、望ましいことのように誘導されている感がある。

 

しかし、それは、一時の流行であって、今の社会を見ると、男女平等とはもはや「古臭い」考えではないか。男と女は、同じなることはできないのである。それを進めるほど、かつての日本にあった良さが失われていく気がするのである。

 

育児をし子に乳をあげる母の役を持つ女性が、男性と同じ社会の役割を持つ必要が何処にあるにだろうか。男女平等とは、真の意味で「男女平等でない」西欧社会の「進歩的」発想なのだ。女性を所有物とし、宮廷内では乳を露わにして歩かせた感覚から言うと、女を男と同等に扱う事が、進歩的なのである。そのような世界に生きてきた女性は、そのような権利を「勝ち取る」ことこそ正しい事なのだ。

 

僕は、今こそ、日本文化に根差した「民主化」や「進歩」を再提言すべきと思っている。かつて日本が、国際連盟で「人種差別撤廃」を提言したように。

 

確かに、西欧文化は科学技術を発展できたし、短期間で地球を全く変えてしまう力を持っていた。そして人類の生活を一変させた。豊かな物の世界を作り上げた。しかし、だがしかし、その精神的土台から来る歪が、今の世界を苦しめている。

 

西欧文化の本質を、世界に押し付けてはいけない。西欧文化だけが、先頭をいく文化であるかにような感覚は間違えである。西欧の歴史には、見られたくない、暴かれたくない、言いたくない過去がある事を知るべきである。たとえば、ついこの間まで存在し、黒人差別の根源を作り上げた植民地政策のように。

 

日本文化が一番であるということではない。日本以外にも、いろいろな文化文明があった。つまり、この世界は西欧文化だけではないのだ。それぞれのいいところを組み合わせ、新しく人類文明を構築すべき時がきたとぼくは思う。