西欧からの脱却

現在の世界はコロナ禍で大変なことになっています。自粛の中で、従来の生活スタイルでは対応できなくなってきました。経済の仕組みも今までのやり方では見通せなくなってきました。今までの規範を離れて、生き方を工夫しなくてはならなくなったと思います。

 

僕はこのような状況を、苦難と受け止めるのではなく、次のステップとして考えたらいいと思っているのです。というのも、コロナ騒ぎ以前から、この世界の社会システムが行き詰まっていると思っているからです。20世紀は大戦争に明け暮れ、日本は自分自身を見失ってしまいました。だから、日本を取り戻すチャンスでもあるのです。日本人が日本を考え直す、自分の頭で考えだすきっかけになれると思うのです。

 

第二次世界大戦後は、西欧・アングロサクソンの世界観で動いています。第二次世界大戦前は、日本は自分の在り方を模索していましたが、結局西欧に飲み込まれてしまったと感じます。20世紀は西欧の植民地主義の考え方に対し、日本のやり方で対抗したのですが、その出鼻をくじかれた感じです。

 

西欧の個人主義の考え方は、日本は本当に消化しきれなかった、というかなじまなかったのではないかと思う。それを、西欧のやり方の形だけをまねてしまったものだから、日本は戦後ずっと精神的にちぐはぐしていると思うのです。日本と西欧とでは、全体と個人の関係が全く違います。

 

日本は天皇という中心をもって、その元で2千年以上の社会を続けてきましたが、西欧は革命によって、前の体制をひっくり返して社会を作ってきたのです。先代の国王は処刑され国体は断たれていくのです。中国にしても同じです。世界の常識は日本にとって異質です。日本が異質なのではないのです。

 

だから、今一度、西欧のパラダイムをそのまま受け入れるのではなく、対峙してから受け容れていく必要があります。哲学にしても、西欧のそれを勉強するのではなく、愚直に自ら考えていかなくてはならないのです。つらい作業ですが、明治維新で西欧を追いかけ始めたころに戻り、今度は追いかけるのではなく、消化していくのです。仏教や漢字や建築など大陸の文化を消化し、自分たち独自の日本文化を作っていった先達の偉業を思い出さなくてはならないと思います。