アメリカ人の苦しみと日本人の迷い

アメリカ人の良さは、違いを認めると言うことだと思う。自分と違ってもいい、頑張ってることを認め合う、そういう気持ちだ。これは長い間農耕民族として生きてきた日本人の気質とは違っている。しかし僕は、アメリカ人と日本人の共通性も感じている。

 

アメリカは、欧米社会と言われる世界である。その欧米社会は、奴隷制度が基盤であったギリシャ思想の末裔でもある。奴隷とは人間の形をした動物なのだ。そもそも大陸で生きていくには、領地を拡大し征服していくしかない。当然そこには被征服民の奴隷が生まれる。奴隷は当然の存在であったのだ。

 

その精神的基盤を持ってすれば、アフリカやアジアの新天地を征服し、その人々を被征服民として支配する事は問題のないことであった。アメリカもそうであった。インディアンを追い出し、新天地にやってきた西欧人はアメリカの支配者となった。ここまではアフリカやアジアと同じであった。しかし、征服者となったアメリカ移住者は、西欧からは被征服者と同じ扱いを受けていたと想定される。これがアメリカ独立のきっかけでもあった。

 

その時アメリカ移住者は、我々は被征服者ではない、我々自身の生き方をしたいと考えたのであろう。独立宣言やアメリ憲法には、個人の自由と幸せの追求が明記されている。古いしきたりのしがらみを取り外し、個人の能力と気持ちを大切にしたのだ。やがて、この精神は、開国した日本にもやってくる。その代表例はクラーク博士だ。自分の持っている知恵を隠すことなく、全て与えようとしたその気持ちは、日本の若者の心を強く打った。一年しかいないその滞在期間で、その影響は大きく、内村鑑三新渡戸稲造など、その後の日本を引っ張るリーダーをうんだ。

 

しかしアメリカは、奴隷社会と言う闇を排除できなかった。人間の形をした別の動物を存在させたままにしてしまったのだ。アメリカの建国精神は、西欧社会から引きずった人間差別と戦っている。黒人奴隷ももちろんそうだが、そもそもレディーファーストなどと言う言葉は、女性を差別していなければ出来ない言葉だ。それらの差別を必死に埋めようとしている。西欧の古い気質とアメリカ建国の新しい精神との戦いをしているのだ。

 

しかし冒頭で述べたように、違いを認め、頑張ることを賞賛し、自由と個人の幸福を求める精神は、アメリカの出発点であると思っている。現在のアメリカの闇は、この出発点をアメリカ人に思い出させるためにあるのかもしれない。それはさておき、

 

一方日本は、島国で他の民族から征服される事はなかったが、狭い国土で必死に生きていくしかなかった。ものを大事にし育てる文化が、長い年月をかけて培われたと思う。その気質は、韓国や台湾の統治時代で現れたと思う。その時代、日本は、自国と同じようにこれらの土地を人間を育てようとした。韓国で文字を改め識字率を高めたり、疫病の島国であった台湾を近代産業の土地にしたり、それは列強の植民地支配とは違っていたと思う。太平洋戦争もその植民地支配と日本精神との戦いだったと僕は思っている。しかし今日本は、その精神の立脚点を忘れかけ、世界にどう発信するか迷っている。

 

僕はこの、日本人の人を育てようとする文化と、アメリカの個人の幸せと能力を大切にする文化とは、入り口は違っていても究極は同じ物に向かっていると感じている。アメリカは今苦しんでいる。そして日本は今迷っているのだ。

 

第二次世界大戦の闇は、それまでの世界の闇の終結であり、アメリカを苦しませ、日本を迷わせている原因だ。これらを御破算とし、何百年、いや何千年の呪いの壁を打ち破るのだ。苦しみ迷う日米が協力すべき根本は、ここにあると思う。