社会の変革

社会的少数派は、例えば身体的障害があったり、日本国籍以外だったり、大多数の構成員からなる社会生活の中では不自由を強いられることがある。ただ、社会を構成する大多数によって作られた構造は、色々と調整した結果のものであって、そう簡単に変えられるものでもない。大多数の人は、不満もあるが、まあこれで仕方ないね、と言って生活しているのが現実といえる。大きな声を出してそれを乱すことは避けて、いわゆるサイレントマジョリティーとなっていく。

 

だから、新たなる少数派を加味しようとするとすると、あれこれ新たなる調整をしていかなくてはいけない。したがって、今までは少数派は、努力して、多数に合わせた工夫をし生活しているのである。あまり良い例ではないが、左利きの人は、日本の多数派である右利き社会に自分を合わせて生きている。多少窮屈感があっても、慣れてしまえば問題はなくなる。

 

今までの社会ではほとんどが、このような少数派の工夫と沈黙によって成り立ってきたとも言える。しかし、権利という概念が顕在化することによって、社会の不具合を直していこうということになってきている。これは良いことであり、それによって、もっと洗練された社会を実現できると思う。

 

でも僕は、少数派が主張をする場合にもるルールがあると思う。つまり、今まで積み重ねてきた社会の結果、というものを認識した上で変革をするということである。そのような立場に立てば、社会はゆっくりとだが確実に方向を変えていける。

 

ただ問題は、近年の社会構造の変化の急激さである。その変化についていけない人が、もはや、少数派ではなく多数派になってしまっているとも言える。こうなると、パラダイムシフト、根本的なところを変える、という事も必要である。

 

社会の漸進かパラダイムシフトか、最初から決めつけた議論ではなく、落ち着いて、日本人の美徳である和を持って議論していける雰囲気を持ちたいと思う。権利だけを主張するのではなく、相手の立場も考え、自分の非なる点もわきまえて、話し合うことが必要である。権利を主張するには、努力と工夫も必要なのである。それは、多数派であろうが少数派であろうが、求められることなのである。