脳の不思議

僕の妻は、音楽を聴くとその情景がありありと目に浮かんでくると言います。海が、山が、街中が目の前に見えるというのです。これは、現実を司る脳ではなく、過去にあった太古の脳の働きではないかと思います。

 

「The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(2分心)」を著したジュリアン・ジェインズ(1920-1997)によれば、意識ができるまえの人間は、指令を発する脳(右脳)と指示を受け行動を起こす脳(左脳)に機能が分かれていたと言う事です。この仮定で考えると、現実に目の前にないものがありありと見えると言う事は、この右脳の働きがまだ残っていると言う事です。何かの刺激によって、脳が色々な幻想を起こすのです。

 

もしかすると、原始の人間は、自然の中で生き抜くために神経を研ぎ澄ませていたので、ちょっとした刺激で幻想を起こしたのかもしれない。その頃は脳も未だ大自然と一体ですから、そのちょっとした変化や揺れを感じ取って声を発っする(ジュリアン・ジェインズによれば、幻覚(hallucination))ことも不思議ではありません。そしてその声は指令として肉体に指示を出していたと考えられます。

 

実はこのことに関して僕は経験があります。その人は、精神統合失調症でありました。ストレスやいじめから精神にダメージを受け、追い詰められた脳が正常な動きをしなくなっていたと思われます。その時、彼は、ぴょんぴょんと飛び跳ねているのです。どうしてかというと、床から刃物が出てくるからだというのです。現実にはないものが幻視され行動を起こしているのです。

 

まさしくこれは、右脳で起きた幻覚が左脳を支配していたと言う事です。もし刃物が刺さったと見えたら、彼は激痛を感じ倒れこんだかもしれない。右脳の支配というのはこれだけ強いものなのです。

 

そういえば、知人から認知症の親の話として、「今〇〇さんが来たからお茶を出してください」と言ったりすると聞きました。現実にはあり得ない人がそこにありありと見える、そしてそれに対応した行動をとろうとする。まさしくこれは、ジュリアン・ジェインズのいう「2分心」です。

 

 もしかすると、太古の人間も、現実にはあり得ない幻覚が現れて社会が混乱し、それでは秩序が保てなくなり「客観的に自分を見ることを始めた」というジュリアン・ジェインズ仮定は真実に思えます。「客観的に自分を見る」これが意識の始まりです。

 

僕たちは、いつも意識しているようで、実はそうではない。意識をするのはほんの一瞬です。それ以外は、実は、太古の人間と同じく、2分心で動いていると思うようになりました。