3つの脳

人は新しい脳を持つことによって動物から人になった。その時、人は意識を作り、それを言葉で表現し、さらに文字という記号に置き換えることにより、巨大な知識の蓄積を可能にし大きな組織を作った。ほかの動物ができなかった、自然を支配することも可能になった。すべては、新しい脳、大脳皮質の発達により可能になったことなのだ。

 

しかし、脳が発達しただけでは人にはならなかった。人は、それまで動物であった時に区分できなかった心の状態の複雑な区分(意識)を構築し、それを人に伝えるための言葉を作ったのだ。さらにその知識を文字によって伝え発達させることをしてきたのだ。人はただ漫然と人になったのではなく、熾烈な戦いの中で考えながら自分の中に人を構築していったのだ。僕の理解はこのようなものである。

 

でも、とはいっても人(ホモサピエンス)は動物の一種である。動物としての原始的な脳の働きも重要は部分をなしている。人が人になった時、そのもととなった脳は依然として生命の根幹である。それを僕は太古脳と呼ぶことにしよう。その太古脳は、人になった瞬間、人の行動判断の表には出てこなくなった。つまり、人は意識の動きによって行動を規定し社会を構築している。

 

では、新しい脳はどのようはものであろうか。僕は今までの人生からの考えであるが、太古の脳によって支配されている脳と、その支配から切り離された脳があるように思っている。太古の脳に支配された脳を感情脳、太古脳の支配から切り離された脳を思考脳と呼ぶことにしよう。感情脳は思考を通さず、ストレートに意識した状態を言葉として表現する。これに対し、思考脳とは受け取った情報を思考回路で再確認し論理付けされた状態で意識を構築する。

 

感情脳は、太古脳のエネルギーをそのまま一番合致する意識に置き換えているので、とても強い力を持っている。しかし、一方で、独自の利己的判断になるため、思考によって構築された複雑な社会においては、間違った判断となる場合が多いのである。これに対し、思考脳は、太古脳からやってきたエネルギーを吟味し組み立てて論理的に意識化する役割を持っている。だから、複雑な社会現象に対しより細かい判断ができるが、太古脳からやってくる現実の姿から切り離された、空想の世界を構築することにもなる。これが判断ミスにもつながるのだ。

 

人にとって、この二つの脳、感情脳と思考脳はどちらも必要である。その両方をバランスとっていかないと、社会はおかしくなってしまうといえる。例えば、思考脳が大きく支配した世界として共産主義があげられる。世の中を良くしようとした思考の結果できた考え方であるが、それは頭の中の空想であって現実の世界では無理を生じることは、歴史が証明している。でも一方、感情脳だけでは、おそらく社会生活は構築できず、争いの連続で崩壊してしまうであろう。

 

僕は、人間社会を、そして人生の意味を考える時に、この太古脳・感情脳・思考脳の区分を心得、うまく使いこなすことが、安定した社会と幸せな人の心を作るのではないかと考えている。