ガラス越しの面会

福祉施設における「ガラス越しの面会」が話題になっています。僕も特養に母親が入所しているので、その問題点と難しさを感じています。

 

今回報道で紹介されていたのは、施設から母親を退所させ、自宅介護を選択した家族の例でした。ガラス越しにしか面会できない辛さは、入所している本人にも、面会する家族にもあります。入所する本人の為に選択した施設が、本人との接触を断絶する原因になっている。そもそも何のための入所であったか、という疑問になってしまうのです。しかし、それを克服するには、地域の医師、保健所、受け容れる家族や自宅などの協力が必要なのです。そこまでしないと「本来の介護」ができないのだと改めて感じます。施設では本来の介護ができないのです。

 

しかし、施設には施設の理由・課題があり、その立場を守って運営を継続するためには「ガラス越し面会」しかないのです。僕は、このことも理解し、家族や家庭の状況も踏まえ、ガラス越し面会を継続しながら、如何に本来の面会に近づけていくかという考えです。

 

僕の場合、幸いなことにガラスの脇を少し開けて、生の声が伝えられるようになっているのです。だから、一緒に歌を歌ったり、本を読んだりできます。歌は「椰子の実」と「朧月夜」、本は枕草子の「春はあけぼの」の段です。椰子の実を歌うと、母が自分が椰子の実になった気持ちで、遠くを一人ぼっちで流れてきたんなね、と感嘆します。春はあけぼのでは、夏のほたる、秋のカラス、冬の火鉢が心の印象に残るようです。毎回同じことを繰り返し言います。僕は毎回少し違った心持になるよう、話を振ったりします。こうやって、母の心が動いているのを確認しつつ面会時間を過ごしています。

 

あとは、介護の職員の人に、母をよろしくお願いし、そうしていただけるような言葉かけを務めています。最初は面会の後、僕と別れることを寂しがっていましたが、また会おうねと悲しむ様子が減ってきています。介護の環境になじんでいるものと理解し、ありがたく思っています。

 

母も人、僕も人なら、介護職員も人です。三者が連携して、心安らかにできるよう、ガラス越しの面会の工夫は続きます。