リーダーの条件

さて、昨日に続き、リーダー論である。人間が誰でもが国民を引っ張る力を持っているわけではない。ほんの一握りの人間にその力が授けられる。源頼朝しかり、徳川家康しかり、そして明治維新の志士達もそのような力を持っていたように思う。この人たちは、天皇という天に通じる存在を崇め畏れることにより、万民を支配する力を手にしていた。

 

支配者たる彼らは、動乱の中で、自らの命を危機に晒しながら権力を得ていくのである。そしてその権力の支柱が天皇、すなわち天の声、天の氣なのである。自分の身を危険に晒し、研ぎ澄まされた精神でないとこの力は手に入らない。そして、それは特定の小さな世界の利益ではなく、広大な精神の利益なのである。これによって、リーダーは力を発揮し、人民を引っ張っていけるのである。

 

現代の政治機構を見た時、このような凄まじい磨き抜かれた精神によって支配されてはいない。一部エリート、もしくは2代目3代目の世襲政治家である。そのような生温い精神に、過去のリーダーのような強い力、精神力があろうはずもない。

 

僕は、日本に強いリーダーが出現する事を望む。それには、もっと激しいと闘争に勝ち抜いた精神が登場する仕組みが必要である。安全に囲まれた「身内」の世界で動く政治ではいけないのだ。例えば、日本の首相とアメリカの大統領を比べた場合、アメリカの方が国民に見える形での闘争の過程がある。アメリカの力が強いのは、このようなリーダー選出の違いでもあると思う。

 

国の仕組みが変えられないのであれば、政治家の条件として、大病、牢獄、経済破綻の様な試練を経験した事にしたい。とにかく、今の日本の政治家達は生温い。試練を乗り越え、人の世の辛さを知り、大きな精神を持った人をの登場を望む。