経済の基本は金ではなく信用であった

中国の目に余る政策は、世界中からの批判を浴びている。香港やウイグルチベットで何が起きているかを知れば、それは必然の流れである。しかし、日本の大企業をはじめ、世界のグローバルな企業は中国の市場への未練と中共とのずぶずぶな関係から、中国との関連を切り離せない状況が続いている。そしてその状況が政治の世界へも反映されている、というのが正しい理解であろう。つまり、中共の人権弾圧と、巨万の富を握る中共幹部の存在は、もはや許せるものではないが、それを単純に排除できない理由が中国との経済関係ということになる。

 

しかし、経済は金のつながりであるとの認識で、中国にむずびつく企業に対する厳しい見方も広がりつつある。つまり、「金」だけでは経済も成り立たなくなってきているのだ。経済活動の基本が「金」ではなかったということが、明らかになりつつあるのだ。

 

お金とは何であろうか。それは、価値の代償であると学んできた。お金=価値という事であった。そしてこれが、お金がすべての解決手段の根本だという間違った思い込みを作ってしまったのだ。思想的立場から今の状況を見ると、明らかにお金≠価値と言える。そのことを踏まえて、改めてお金とは何かを考えなおしてみる。

 

すなわち、お金とは「信用」だったのだ。お金とはその裏付けとなっている信用があるから、価値があるのである。そして、信用は長い時間をかけて作りあげられる価値なのである。

 

お金=信用ということを、今一度しっかり胸にしまうべきである。そのうえで中共を考える必要があるのだ。つまり、中共がその戦略より信用を失いつつあるということは、中国と経済関係を持つ意味が、根本からなくなりつつあることなのである。このことを経済人たちは知るべきであろう。

 

お金こそ万能であるという幻想を捨て、信用という長い時間をかけて作る価値を再認識すべき時が来たのだ。お金による安直な解決が相互の不利益をもたらしていることを認識し、時間をかけた誠意こそ大切であるという社会通念を広めるべき時が来たのだ。