誤解はなぜ起きる

"誤解"を角川国語辞典で引くと、「相手の言ったことの意味などを、まちがえて別の意味にうけとること」とあります。これはその通りです。では、何故"誤解"が起きるのでしょうか。日常の生活において解決すべき事は、この起きる原因を明らかにして、それを避けることではないでしょうか。

 

敵対関係にないのに"誤解"が起きてしまう事は、人間社会において重要な解明すべき課題です。敵対関係ですら、ほとんどの場合、この"誤解"がその最初のきっかけであったと考えています。

 

ぼくは、誤解が起きる原因は、相手の言動の結果だけで判断してしまった事であると考えています。人は、社会環境・肉体条件・教育などの制約のもとで言動をしています。言動を起こすには、必ずこれらの制約による原因があるのです。つまり、言動には原因があり、その原因は社会環境・肉体条件・教育などによって作られているのです。

 

しかし一方で、人間には二つの心象パターンがあるのです。それは、ある事象を目の前にした時、その"意味"を考えようとするパターンと、その事象により"感じる"パターンです。前者を思考パターン、後者を感覚パターンと呼ぶ事にしましょう。

 

僕は、誤解は感覚パターンで相手の言動を受け取る事により生じていると考えています。全ての言動には"意味"があります。その意味を理解できれば、ほとんどの誤解は解消がきると思います。この時に必要なのが思考パターンです。

 

でも思考パターンには、相手の状況を想像できる為の、知識・経験、更には教養と言った深いレベルの準備が必要なのです。理不尽に見える相手の言動であっても、肉体や風習や宗教や貧富などの原因がある事を知るべきです。さらに、その言動に悪意がないか、貧富差などの社会的要因があるか、などのフィルターにかける必要もあります。

 

悪意があれば犯罪問題、社会的要因なら政治問題であり、これらの問題を除けば、対等な人間問題として、思考パターンで誤解を起こさない努力が必要であると考えています。僕は、誤解の原因は、深い思考パターンによる理解の努力不足であると思うのです。