歴史の真実とは

歴史とは過去の事実であるはずです。本当にそうであったことが歴史のはずです。しかし、現実に存在する歴史は、歴史を著した人の想いで作られたものです。僕はこれを乃木希典の生涯を知った時感じました。司馬遼太郎が『坂の上の雲』や『殉死』で描き出した乃木希典像は、「愚将」「戦下手」などというものです。こんなにも「見方」によって変わるものであるかと知ったのです。

 

ですから、本当に歴史を知るためには、解釈による歴史ではなく、真実の歴史を見なくてはいけないのです。では、真実の歴史とはなんでしょうか。その時代にタイムマシンで戻ればいいのでしょうか。そうではありません。たとえ戻れたとしても、自分がいる場所や見え方でその事実は「解釈」されてしまうのです。司馬遼太郎乃木希典像と同じになってしまいます。

 

僕は、真実に一番近いのは、その時代の人物の魂の言葉と思われるものを探すことと思います。それが無いなら、その魂に触れた人の言葉を探すことです。その上で、事実として残されたものを解釈するのです。勝手に自分の思いで解釈してはいけない、ということなのです。

 

歴史の事実を、それとは違う解釈で広めてしまう事は罪でもあります。それは、その魂を汚す事にもなるからです。司馬遼太郎ほどの博学の人が、本当に乃木希典を「愚か」者と思っていたとは思えません。その「愚かさ」は、司馬遼太郎が何かの理由で創り出したものと僕は思います。

 

しかしなにはともあれ、『 坂の上の雲』は人気ある作品です。でも、それとは別に、真実を知る心は持ち続けなくてはいけないんだと、強く思ったのです。そしてそれは、この乃木希典だけでなく、全ての人物に当てはまるものでもあります。