世界はどうなる

中国の全人代が、反体制派を取り締まる「国家安全法」を可決し、香港の自治が危機に晒されていろ。香港の自治を求める市民活動にも、諦め感があると報道されている。香港の自由化を許しては自国の存亡への危機感を中国は感じているにであろう。チベットやウィグルへの統治にヒビが入りかねない。中国のこの強硬な姿勢は、追い詰めたれた中国の裏返しでもある。この中国の(暴)挙は、中国にとっては必然であり、内政問題なのだ。

 

しかし、これは本当に「内政」問題なのであろうか。この中国の姿勢は、世界の自由と民主主義を防御するためには、これ以上は許せない一線を超えてしまったと思う。世界の自由と民主主義を守るためには、中国の「香港」への介入を許さないというのではなく、中国の「世界」への介入を許さないという段階まで呼び上げてしまったように感じる。もう、中国の内政問題ではなく、国際問題になってしまったのだ。

 

正しく考えるなら、国際問題として、中国の香港介入を阻止する事は当然である。香港市民が香港警察の取り締まりに対し、命がけで戦っている事を、ただ黙って見ていることの方が人として不正である。しかし、世界はそう単純ではない。中国に依存し、中国の命運に自分の生活がかかっている世界の人々も多いのである。香港は犠牲にしても、自分に生活は守らなくてはならないと言う人も多いのだ。目先の利益を確保していかなければなない人が多くいるのだ。

 

そのことを知った上で、僕はあえて言いたい。中国自身も、香港やむなしと考える人も、もうその様な「目先の自分だけの時間」で考える事が、「将来への犯罪」であると。もし、時代を超えて裁判が可能なら、目先の自分だけの時間で考える人、政治家、企業は、有罪となるであろう。僕は、世界が、長い時間軸で裁きを出せる、正しい考えに至ることを望む。そして、長く国体を保持してきた日本こそ、その先頭に立つべきではないか。