リーダーとしての責任

安倍首相が、公明党の要請を受け、制限なし国民一人当たり一律10万円の支給を検討始めたという。昨日は、二階幹事長が、制限在りだが一律10万円の支給を発言していた。どちらにしても、国民の声に押されて、やっとしぶしぶ検討を始めた格好である。その前は、シンガーソングライター星野源さんの弾き語りとコラボして、くつろぐ安倍首相に怒りの声が相次いだばかりでもある。

 

国民の一人として、確かに自分が首相であっても難しいとはわかっているが、首相のやり方に批判することは大切である。それだけ、一国のリーダーというのは責任と品格が必要なのだ。現在の安倍さんや政府の重鎮の、国民の生活感覚からかけ離れた神経には、もう飽き飽きしている。早く、安倍さんには、首相はやめて、普通の人になってほしい。

 

前回の衆議院選挙で、自民党に投票した僕は、国民の責任として、その過ちを認めたい。恐らく多くの国民がそのような思いをしたのではないであろうか。リーダーというのは、「責任」を持つことに命を懸けなくてはならないのだ。責任者としての「コロナ禍」対応であれば、自宅でくつろぐ演出はしない。それをみた僕の感想は、対岸の火事を見ているようであった。英国ジョンソン首相が国民に出した、普通の言葉での「自宅待機のお願い」の手紙の方がよっぽど効果がある。

 

あわせて、森友問題の事件への「責任」を明確にしないのは、犯罪と言われても仕方ない。早く、責任を持ったリーダーの出現と望む。