新しい哲学の構築

現代の世界文明はこのままでは破局に向かうと思う。資本主義にしても共産主義にしても、結局は自滅する。何故そうなるのか、その根本原因は何なのか。それは現在を支配している西欧文明そのものにある様に思う。

 

元々、ギリシャに始まった哲学は、神話への疑問を、大脳皮質による、論理で答えようとした。「論理」が一番正しいものとしたのである。しかし、神の言葉に疑問を持った哲学であったが、神そのものを説明できなかったと思う。思惟こそ原点であると考えたデカルトも、神そのものは、生まれつき与えられた「生得観念」として与えられたものとしか言えなかった。カントも、視覚や聴覚や、思考さえそのままでは信じられないものとして、その現実の世界(phenomenal world)とは別の真の世界(noumenal world)という概念を作った。それによると、なんと、考えてはダメで、考えない心(no desire)こそ価値ある行動を起こし得るということになる。

 

僕は、思考で神を説明できる、または説明しようとした事が間違いだったと思う。僕は、哲学は全てを説明し尽くそうというのはやめなくてはいけないと思う。そして、哲学こそ、思考による世界構築の誤りを正して、思考の限界と罪状を明確にし、新しい文明を作る事が、その目的であると思う。哲学とは、「思考」を考える学問なのだから。

 

きっとその新しい哲学とは、人間の「個」を原点としない、かと言って、全体主義の様な「絶対」的概念を排除できる、新しい考え方であり、思想なのだ。そして僕は、古代日本の思想の中に、その解答がありそうな気がしている。