大脳皮質の罪

僕はこのブログを書き始めて考え方が大きく変わりました。元来、理屈で物を考えるタイプなので、感性的な内容やその他の理屈で説明できない事は、考える対象から外していました。もちろん、神なども信じてはいないし、宗教は人類の歴史上から排除すべきものとさえ思っていました。しかし、それが大きく変わってきたのです。そしてついに、理屈で考えることによる罪悪について考えるに至ったのです。

 

理屈で考えるだけではだめなのだと最初に気が付いたのは、2019/11/30に投稿した「言葉とコンピュータの類似性と違い」を書いた時です。僕は、言葉、特にに大和言葉がどういう風に僕たち感覚を表現しているのかを考えていました。その時、人間同士が同じ「言葉」をつかっても、それが本当に同じ感覚を共有しているのかわからない事に気づいたのです。もし、本当にその感覚を共有するのであれば、宇宙の起源まで遡らなくてはならないのだという事を、この記事で書きました。

 

その次に、2019/12/30に投稿した「AIは人間を超えるか」において、AIが人間を超えられないことを書きました。その理由は、人間の使う「言葉」とAIが使う「言葉(0と1の世界)」は全く質の違うものだという事を書きました。

 

そして、本日、歴史上の事実から、「理屈で考えることの罪」に気が付きました。それは、僕の信頼する武田邦彦氏のYoutubeを見た時です。この中で、理屈だけで考えた時の起こる歴史上の事実として、共産主義のことが言われていました。共産主義思想の支配において、人類救済の旗印のもと、自国民の虐殺がソ連で2千万人、中国で6千万人と言われ、カンボジアでは人口600万人中350万人が殺されたという事です。

 

武田氏も言及されていますが、なぜこのようなことが行われたかというと、大脳皮質で考えたこと、つまり理屈の世界で結論したことを正しいとして行動を起こしたからなのです。大脳皮質が生物の歴史に登場するのは、人類の登場した200万年まえ、もっと厳密に言えば、ギリシャ哲学が登場した2千5百年まえのことなのです。そのことからも、大脳皮質の「理屈」がいかに皮相的であるかが分かります。この「理屈(理性)」により、人間の文化は劇的に発展しましたが、それのみを信じてしまったこと、そしてそれを一部の人間が利用してきたことで、人類の悲惨な歴史が作られたのです。

 

大脳皮質を根本においてはいけないのです。脳の奥底の部分の「声」を聴く必要があるのです。これは言葉とコンピュータ、人間とAIとの対比にも言えます。もちろんん、大脳皮質に相当するのがコンピュータ・AIで、脳の奥底に相当するのが、言葉・人間なのです。

 

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【武田邦彦】あの恐怖の正体を遂に発見してしまいました。世界中がその現実を見ることになるでしょう…【テレビでは報道されないホントの話】