入居者の為の食事、食事の為の入居者

僕の母親は、特別養護老人ホームに入所している。その施設は新しく、設備も整って、しかも僕の自宅から徒歩で行ける範囲であり、面会も24時間OKである。その恵まれていることにはとても感謝している。

 

ただ、この施設に限らないことだが、このような施設を運営していくが上での問題点も感じるようになってきた。限られたマンパワーの中で、色々な課題を持つ入居者の世話をしていくのだから、その労力は大変なことと想像できる。だから、どうしても、入居者への対応が機械的になってしまうこともあるのだ。

 

特に今感じているのが、食事である。率直に言って、食事の内容は貧弱である。3か月になるが、何というか、いつも同じような食事内容である。僕が入所者であったら、とっくに飽きてしまって、喜びを感じれなくなるようなものです。ただでさえ、食欲のない入所者にとって、食事は強制される苦痛にさえなってしまう。

 

本日は、昼食を介助しました、これ以上口に押し込むようにやってもいやがるので、途中でやめさせてもらいました。おいしくないものね、仕方ないよね。自室に戻り、持ってきた寿司を食べさせました。おいしいといって、本日の昼食ぐらいを食べました。このことが施設の管理上問題があるといわれても、結果として食事の摂取量を確保するという事からすれば、目的は果たされているわけです。

 

ところで、僕のように食事の介助に来ている人はあまり見かけません。ほとんどの人は施設にまかせっきりなのでしょうか。何の喜びもなく食事を口に入れられ、食べている入所者。下を向き口を開けないでじっとしている人入所者。一方、施設の人達は、少しでも食べてくれないと、体力が落ち体調を崩すので、食べさせることに必死だ。

 

僕は施設の人を責める気はない。ただ、これでは、「食事のための入所者」となっていることを感じてしまった。家庭で老人を介護できない現代社会状況では、現代の姥捨て山の感を持つ老人ホームであっても、いたしかたないのであろうか。せめて、僕のいる時だけは、食事の喜びを持ってもらいたいと思った。