個人の要望と組織の要望

コロナ感染で特別養護老人ホームで面会謝絶が続いている。面会はガラス越し、直接息がかかる用な声かけはできない。それに、ホームの職員の手を煩わすので、そう簡単に面会の予約もできない。

 

理由はわかっている。そうしなくてはならないことも分かっている。もし、一つでもウィルスが紛れ込んだら、ホーム全体が閉鎖の憂き目にあうし、下手すば入居者に感染して死者も出てしまう可能性があるからだ。

 

ただ、それだからと言って、面会謝絶がいつ解除となるかわからない状況において、入居老人は刻々と衰えていく。今日はっきりしていても、明日心が通じないことだってありうる。何か月も待たせて、ボケさせて、面会できた時は面会者を認識できなかったことがあったら、悔いは永久にのこる。せめて、手だけでもにぎってやり、氣を伝えてあげたいのだ。

 

ホームという組織は、現代の社会で確実にその役割を果たしていると思う。しかし、千に一、万に一の脅威を基準にして、すべての対応を制限するとすれば、大多数の声は抹殺せざるを得ない。しかも、組織は、利益を上げるべく、人を減らし、最小の経費で最大の効率を目指す。これは、明らかに個人の心の要望とは反しているのだ。

 

組織の要求を個人に押しつけることが当然のこの社会意識を何とか変えたいものである。それには、経済思想からの変革が必要なのであろう。