心の食べ物

僕の夫婦生活は37年を過ぎました。最初のころ僕は、夫婦仲はいいと思っていました。しかしそれが僕の勝手な思い込みであったことを、相当後になって知るのです。人は、自分にとって都合の良い様に思い込むものです。気が付いた時は、二人の間の心のすれ違いは大きなものでした。

 

相手のために尽くしていると思っていることが、逆に相手を追い込んで苦しめてしまうことがあるのです。その原因は、僕の安定しない職業と嫁姑関係のことでありました。一生懸命にやっているつもりでした。逆にだからこそ、相手を追い込んでしまうことにもなるのです。

 

このことに気づいてから20年ぐらいたっています。現在は、やっと仕事も安定し、また母親も施設にお世話になって問題の元は無くなっています。そして、それぞれの思いのすれ違いを見直す余裕もできました。今は、それぞれが別個の人格として、それぞれが一生懸命に生きていることを認め合うことが出来るようになったのです。(と思っています。(笑い))

 

若いころの様な肉体的関係はありません。でも妻は、僕の健康や食事や部屋の整理など、よくやってくれています。それは、肉体的な悦びよりもずっと深い喜びを感じるものになっています。仕事明けで昼頃帰ると、風呂や食事が用意され、留守中の出来事の話が待っています。若いころの新妻とは違い、決して甘ったるいものではありません。今もって意見の違いもあります。でも、心を僕に向けていてくれる、というありがたさを感じるのです。

 

ぼくは、これを「心の食べ物」と称しています。体の食べ物は必須です。でも、心の食べ物も必要なのです。人に対する深い思い、これが心の食べ物です。もしかして、現在の社会で不足しているには、心の食べ物ではないでしょうか。そして僕自身も心の食べ物を差し上げられるようにしなくては、と感じるのです。