コロナによる分断

僕の母は、特別養護老人ホームに入所しています。昨年、コロナ感染が拡大して緊急事態宣言が出されて以来、面会はガラス戸越しとなっています。でも、ガラス戸の脇を少し開けて、声が通る様にできたので、会話は何とか出来ました。

 

しかし、今回、非常事態宣言が再度、出てからは、ガラス戸を少し開けることも禁止となりました。この為、会話が出来なくなってしまったのです。面会にいっても、ガラス戸越しに顔を見合わすだけで、かえってストレスになってしまったのです。

 

その対策として施設は、タブレットを用意しLi neアプリの電話で会話できる様にしてくれました。先日その方式で面会をしてきました。しかし、結果はダメです。それは、僕が話す声が母のタブレットから出るのに、2、3秒かかってしまうからです。そうなると、入居者は、それも母の様に多少の認知があると、そのタイムラグが理解できないのです。混乱してしまうのです。

 

声のタイミングがずれるということは、声を合わせること、例えば歌を歌うことが出来ません。また、本を読んで聞かせることもできません。ただただ、母は、変だなぁという表情をしているだけなのです。

 

僕は、近頃よく言われる「分断」という言葉の意味を実感しました。人と人が会えないだけでなく、あっても気持ちを伝え合えないのです。

 

かつて人は、心を自然や神と共有して互いに繋がっていました。生活の場に、心の共有の場があったのです。しかし、社会が高度になり専門化して、社会が細かく分かれ、さらには家族も格化して、人々は分断されていきました。そこにさらに、コロナによる分断です。人々はさらにバラバラになり、互いを見合う事が少なくなり、孤独と不安感に陥りやすくなっていくのです。

 

人間は、そろそろ、心の共有と思いやりの気持ちの大切さを知るべき時に来たと思います。今こその分断を解消することを真剣に考えるべきです。社会的な役割としても、また、ビジネスとしても。〜あぁ、でも、ビジネスになるためには、現代の様な、お金第一の金融システムこそ変わる必要があるかもしれまれん。

 

さて、僕は、ホームでのガラス戸越しの面会での会話用に、バイクツーリングで使うインカムを検討しています。少し高いけど、これを使えば、ガラス戸をちょっと開けてやる会話より、ストレスがなくなるかもしれません。来月の母の誕生日プレゼントに検討しています。分断の解消を少しずつ進めていきます。