50年前の僕

本棚を整理していたら、かつて僕が書いたノートを発見した。17歳10ヵ月の自分は、70年安保の学生運動と間近に控ている大学受験の中で、悶々とした自己内観をしていたのである。そのノートを読んで、その彼と現在の僕が対峙したら、彼のエネルギーに圧倒されたであろうと感じた。そして、50年を経た現在も、当時の彼と同じを問いをしているのだ。ただ、現在の僕は、この大統領不正選挙のエネルギーの支えられて、その解を見つけ出さんとしている。彼にその解を伝えるために、再度50年前の問題提起を書いておく。

 

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1969年10月25日(土) 回想

僕自身に自分がない事、つまり自分の考えていた価値・常識なるものがくずされてから、どれ程経ったのであろうか。その間僕は、何かー政治的なもの、内面的精神的なもの などすべてーを判断する、新しいそして確固たる基盤を持つものを求めてきた。何と重苦しい時が流れたことであろう。

 ある時は本に、ある時は自分以外の人に。だが、何もなかった。だから僕は、それを自分自身で”作る”ことにした。

 人にとっての原点とは何か。主体を作るものは何か。これが僕の唯一の探求目標となった。だが、それは、オレの頭を混乱させるだった。人の言う事が、本来の自由を求める本能なるものから発せられているとするなら、本能を即ち原点とすればよいわけだが、社会の中で一人一人が、その本能をもとにして主張を行えば、社会は混乱するばかりだろう。本能から出た人の意見なるものを判断するものは何か。それは。本能とは全く別のものか。それとも、本能を細かく分析して、はじめてあらわれるものであろうか。

 人間の核とは、いかに重たく、深遠なるものであろうかーそれに気づいた時、死に近い絶望を感じた。だが、この巨大なるものの探求はすでに2000年以上前から行われている事に気づいた時、オレは感激にふるえた。

 オレは、人間の人間そのものの”歴史”の重みにうろたえた。

 オレの問いかけは、人間とは何か。なぜ生きるのか。死とは何か。社会とは何かーと言ったものから、このおおきな流れの中での自分とは何かという壁につきあたっていた。そして、自分とは何かが、即ち人間とは何かであり、社会とは何かであることに気づいたのは、大分時間がたってからだ。

 -自分を通して人を見、人を通して自分を見る。フォイエルバッハの「自然即人間、人間即自然、個即類、類即個」という事、また「人間は他の動物とちがって、人間そのものの本質はすなわち人間自身の対象である」という言葉の意味が、さらに深くオレの頭に刻まれる。-

 

 さてオレは、自分のそして人間の核を求めて放浪をしているうちに、デカルトに触れた。彼も、その病弱な身体には想像もできぬような精神的エネルギーをもって、オレの問いかけに答えてくれた。

 彼は、人間が封建的・肉体的束縛から解放されてはいたものの精神面での混乱の中に生きた。そして人間の原点を求めたのである。彼は純粋に哲学者であった。

 彼はある夜「われ思うゆえにわれあり」と言う命題に気づいた。思うことが人の原点であると考えたのである。しかし、彼の哲学も所詮そこまでしかいかなかった。思うとはそもそも何かと言う解決が残されたままだからだ。

 ヘーゲルにしても同じである。絶対精神になるものをもち、弁証法的に自己をかえりみ、社会を見ても、体験 自覚を判断するものは何か、と言う問いかけには十分でない。カントの道徳についても同じである。

 オレは、同じような問いかけをしながら、最後には、人間の原点は何かという点で戸惑ってしまう。だが、ここで原点なるものの存在を拒否はできない。なぜなら、それがなければ、体験・自覚の判断もできず、善とか悪は、全く砂の上の楼閣となってしまうからだ。

 人間の原点とは何か。

人は、自分の本能なるものと、それに彼の過去・現在の状況の中で主張をする。全てが、正統なる道順によってなされた主張であるなら、どうして、一方のみを取り、他方を捨てねばならぬのか。また、そうしなければならぬ時、何を持って判断するのか。

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さて、これに対して現在の僕は、どのように答えるか。彼を説得できるか。