2分心

もう10年以上前になるが、神々の沈黙(ジュリアン・ジェインズ著、柴田裕之訳)を読んだ。僕にとって、大変難解な書であった。しかし、とても心を惹かれたので、ずっと本棚の前面においてある。時々ページをめくっては何が書かれているのかを確認してきた。

 

さて、ここしばらくの間、この本を開いていなかったので、久しぶりにパラパラを拾い読みをした。

 

ジュリアン・ジェインズ(1920-1997)は、心理学者でプリンストン大学で教鞭をとっていた。大学卒業後イングランドで俳優と劇作家として活躍したという経歴をも持っている。生涯の著作は多くはないが、The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mindという大作を書いている。この訳が上記の神々の沈黙である。

 

訳者の柴田裕之氏はベストセラーのサピエンス全史を訳した気鋭の翻訳家であり、この神々の沈黙の訳も優れたものと思う。しかし、心の問題を取り上げた著作というものは訳されると本来の意味が見えにくくなるのは致し方ない。ぼくは、原書も取り寄せて読んだりもした。それでも、「分かった」とはいいがたい、難解な書である。

 

さて、この本のテーマは、意識はどうやって生まれたか、意識とは何かである。研究の結果、ジュリアン・ジェインズは「2分心(Bicameral Mind)」という仮説に到達する。その仮説によれば、人はその初期段階では、右脳からの幻覚(hallucination)を左脳が受けて行動を起こしていたというものである。もちろんその時には「意識」は存在しない。

 

そして2分心による人間社会は、ある程度の社会規模までは正常に機能していた。意識というものはないが(この場合の意識とは、客観的に自己を内観できる機能)、社会をストレスなく形成できていたのである。しかし、その規模が大きくなり、今から3000年ぐらい前になると、その機能が有効でなくなり、社会が混乱するのである。

 

BC1400年ごろに興り地中海で発展したミケーネ文明は、BC1150年ごろ突如として破壊される。それから数百年後に古代ギリシャ文明(ギリシャ哲学)が興るのである。この数百年の未解明の時間が、すなわち、意識を創り出す戦いの時期であったというのである。この本の中では、それをイーリアス叙事詩オデュッセイア叙事詩の比較で解き明かしている。ジュリアン・ジェインズはイーリアスの中では、「自分」はなく、ただ「命令」だけが表現されているという。これに対し、オデュッセイアでは、「意思」が存在して、我々の意識に近いものがあるという。

 

僕の理解では、ミケーネ文明崩壊後の混乱の時期、人間は混乱しているその過程で、命令されるだけの存在から、命令されている主体を見る能力を獲得したのだ。この時、自分自身を客観視できる機能、意識ができたのだ。

 

命令だけで生きていた時代、すなわち2分心の状況はもはや実感することはできないが、現代でも、統合失調症の「幻覚・幻聴」はその名残として見ることはできる。意識が確立し、右脳の幻覚(hallucination)が見えなくなってきたとき、人間は不安からこの幻覚を取り戻そうとした。シャーマニズムや巫女によるお告げがこれである。事実、ギリシャ哲学の時代にあっても、国の大事な政治はアポロンの神託によってきめられていたのだ。さらに宗教とは、この「幻覚」の名残をマニュアル化し普及させたものとも言える。

 

2分心の提案はとても示唆に富み、今後も僕なりに考え続けたいと思っている。