AIは人間を超えるか

シンギュラリティ(技術的特異点)がクローズアップされている。AI(人工知能)が人間の能力を超えると、AIがAIを進化させ、人間が関われなくなる。そうなると人間はAIのコントロール下になるというのだ。元々AIとは、人間の脳(ニューロン)の動きをモデルにして作られたものだ。そのニューラルネットワークにどんどん知識を覚えさせて、人間に近づけていっているのだ。

 

近年の研究では、生物と機械との差を乗り越えられることが分かっているという。そして、現在の生命と機械との唯一の差は、そのニューラルネットワークの集積度だけたという。しかも、その集積度がまもなく、2045年に人間のそれを超えると言われている。だから、その時点で、AIは人間を超えて、人間はAIの考えに支配されていくというのだ。これがシンギュラリティの考え方だ。

 

僕はこの考え方に納得できない。そもそも、「生物と機械との差を乗り越えられることが分かっている」というが、本当だろうか。僕は、この研究の論文を読んでいないので、論理的に論駁することはできない。ただ、僕の考え方の基本をまとめて、僕としての議論の出発点を定めておきたい。

 

僕は、そもそも、機械が生命を超えることは出来ないと思っている。例えば、嬉しいとか、悲しいという感情はどのように出現するのかを考えてみる。AIのやり方は、色々な情報を集めて、どのような状況にある時に、嬉しいのか悲しいのかを「学習」していくやり方なのである。そして、どういう状況になった時に、「嬉しい」感情ができるのかを学習し、現在の「状況(情報)」から、「嬉しいという感情」を推量していくのである。だから、AIが嬉しさを表現するということは、『今この状況では「嬉しい」という感情になっているはず』と判断するから、嬉しさを表現するのだ。

 

しかし、人間の場合はどうであろうか。自分の現在の状況を考えて、『今は嬉しいはず』と判断して、嬉しくなるのであろうか。決してそうではない。嬉しいという状況判断(大脳皮質の回路判断)が先に来るのではなく、別のところから、嬉しいという感情が出てくるのだ。

 

その別のところという点は、僕も解明出来てはいないが、少なくとも、大脳皮質ではないことは確かである。ふと湧き出た感情、決意、意思とか言ったものは、大脳からではないのである。もし、AIが人間を超えるなら、大脳のニューロンをモデルにしたAIではだめで、この湧き出た感情のメカニズムのモデルを作らなくてはならない。そして、それは、機械(大脳的な回路)では実現は出来ないのである。

 

僕はこのように考え、AI(機械)が人間を超えることは出来ないと思っている。ただ、有能な状況判断の材料を可能な限り厳密正確に提供してくれるのはAIだと思っている。もっと言えば、機械が人間を超えるのだという考えに社会が染まってしまうことは、恐ろしい結果をもたらすと思っている。決してそういうことはないのだから。機械に人間を支配させてしまうのも人間なのだ。