日本国とは

日本国とは、無論、今の政府ではない。日本国とは、その様な政治とか経済とか一部の分野ではなく、それらを網羅した概念として存在していると思う。そのような概念を、天皇という人間を通して体現された国の形が、日本国民の中に存在していると思う。

 

そもそも、政府というものは、選挙で選ばれた代議員による、多数を占める勢力の利益を実現する構造である。多数の者が支配する事が、最も合理的で安定すると言う考え方に基づいている。それは「支配をする」と言う概念に拠っている。それが頂点にあると言う考え方だ。

 

しかし、日本国という場合、「支配」が頂点ではない。僕は、古事記でいうところの「しらす」者が頂点なのであると思う。天照大神が、大国主神に国譲りを迫るときに「葦原中国は、我が御子の知らす国」であるといっている。

 

僕の勝手な解釈では、何かを「知らす」事が頂点なのである。支配しようとするのではない。この感覚が、西欧文明の支配する文明は違うと思う。では「何を」知らすのであろうか。古事記の文脈からすれば、混沌たる宇宙の開始から神々の正当な流れこそが、その「何」となるのであろう。

 

僕なりに解釈すると、それは、宇宙が開始された時から発される、一種の振動である。そこにつながった時、大きな力、強い力を得られる、力強い流れみたいなもの。それを「知らす」ことにより、国を安定させようとしたのである。

 

日本人には、少なくとも僕には、このような天の声というか、天の風というか、そういうものがあって、私利私欲の俗世の上にあるという感覚がある。そして、それは、西欧的な神の命令ではないのである。このような精神風土こそが、日本国を作っているのではないだろうか。