法律の抜け穴

法律には抜け穴があって、たとえ犯罪を防止するための法律であっても、そこに書かれていなければ、合法的に犯罪が行えるのである。例えば、税金について言えば、合法的脱税はいくらでもある。税金とは、利益を得た金額の一部を公のために提出するものとすれば、だれでも公平に負担すべきものである。しかし、大企業で莫大な利益を得ながら、税金をほとんど納めていない企業があるという。これは合法的な処置なのである。

 

本来法律が、万民のためにあるとすれば、このような不公平があってだめだ。しかし、元来法律とはそのような要素を含んでいて、ずるく立ち回ればいくらでも抜け穴がある。これは永遠に続く鼬ごっこなのである。

 

僕は、法律というもの定義がおかしいと思う。「正義がない」という前提で法律が存在しているのではないか。これは西欧という海外からやってきた考え方ではないか。それは法律に書かれてなかったら、何をやってもいい?ということなのである。そうではなく、法律の「精神」というものを大切にする考え方を大前提にしなくてはいけないと思う。たとえ、条文になくても、その精神に反するのであれば、それはやってはいけないことなのだ。

 

刑法についても同じような感想を持っている。法律に規定がなければ処罰ができないというのは、何か本末転倒のように思うのは僕だけか?確かに法律による刑罰の適用には難しい問題もある。しかし、新たなる事案に対しては、本来の精神に基づき十分な検討の元、遡って規定を適用することは出来ないのだろうか。

 

法律に書かれていなければ許されるのだ、という考え方が発生しないような工夫をしなくてはならないと思う。法律とは何のためにあるのかという基本・精神を、今一度はっきりとさせる必要があるのではないか。法律が先にあるのではない、人が先にあるのである。そのことにより、社会的な行為に対し品位や道徳観を求める、国民的な精神性を高めるきっかけにもなるとも思う。