自と他の区分

自分と他人とは違います。いくら自分が正しいと思っていても、それを他人に押し付ける事はできないのです。仮に他人がそれに従ったとしても、その人の心は納得していない。そして自分の考えを正しいと思って主張する人も、考えを押し付けているだけではないのか、本当に自分がそう考えているのか今一度、正直に省みてみる必要があります。

 

自分自身も他人も心から納得しているか否かの見極めをできる事が、社会の基本であると思います。そんなことを言っていたら世の中は成り立たない、と言うかもしれません。しかし、そういう認識を持つことが大切であるとつくづく思うのです。

 

そしてさらに大切なのは、自分が他人に支配されていないか見極めなければいけないのです。世の中の多数意見や、権威や知識人の考え、これらを暗黙的に認めてしまったら、自分ではなくなります。自分自身であると言う事は、自分が心から納得していると言うことなのです。

 

腑に落ちる、と言う日本語があります。まさにこれこそ真実をあらわしています。頭ではなく、体が認めた事が納得した状態なのです。

 

僕は昔、塾の先生をしていたことがありました。ある子供に、2分の1から3分の1を引くと6分の1になることを教えていました。どうしても理解してくれません。なんでそうなるのか、そもそもなんでそんなことをしなきゃいけないのか、納得していないのです。でもある時、膝を叩いて、先生わかったと言ってくれる瞬間がありました。これこそ、腑に落ちた時だったのです。そしてその子は晴れやかな顔になりました。

 

納得するとは、その人自身が、その人の魂が、その肉体を通してわかったと言うことなのです。

 

世の中も、政治も、わからないことがたくさんあります。なんで立候補者のお願いの言葉が心に響かないのか。チラシを配ってもほとんどの人が受け取らないのはなぜか。それは僕たちが、納得していないからです。そのことが腑に落ちていないからです。ちょうどあの塾の子供のように。

 

有権者、つまり他人に納得してもらうとは、他人を支配することではなく、自分の考えを腑に落としてもらう事です。そのためには、まずは自分自身が、自分でなくてはならない。

 

明日は衆議院議員の投票日です。僕は今回の選挙活動の中で、新しい流れが始まった気がしています。これまでのように単にお題目を唱えるだけの議員は影が薄くなりました。本当に心より訴えるものを持っている人が何人か出てきた気がしているのです。それはとどまるところ、自分を持っている人であると言うことです。こういう人こそ、他の人を納得させることができます。こういう潮流を見極め、加速増大させることが、僕たち有権者の努めであり役割でもあります。