洗脳されない為に

ここで言う洗脳とは、事実を確認することなく、メディアや広く一般に流布された意見に従い、それが事実であると思い込む事と定義する。その結果、洗脳された事と違う意見に出会った時、それは事実ではないと強く思い、それらは悪意のもとに捏造されたものと解釈するようになる。

 

ですから、一旦洗脳されてしまった人に、洗脳された事と違う事実を伝えても、ほとんど受け容れられないのである。その様な人にどう対応するかは、大変難しい。これに関しては、別段で考えてるとして、ここでは、洗脳されない様にするにはどうしたらいいかを、僕の体験をもとにまとめてみたい。

 

僕は、今のメディアに洗脳されているとは思っていない。また、都市伝説とも言われる、ネット空間に溢れる諸説にも流されてはないと思っている。それは、僕は、いろいろな意見を「自分の」頭で聞いているという感覚があるからだ。その為には、自分の神経をとぎすます必要がある。単に、(僕にとって)心地よいまたは虚をついた情報流して、フォロワーを増やそうとしているだけなのかを、見極めなくてはならないのである。口調、表情、態度から受ける感覚や誠実さ、それと事実に基づいた情報かの確認、過去の配信や他の配信者からのコメントなどが手がかりとなっている。

 

こう言う地味な作業の結果、10名くらいの配信者に絞って常時情報を聞きている。また、20名ぐらいの、時々確認する配信者もある。これ以外で、突拍子がない、または怪しいものは無視をしている。ただ、こう言った奇抜な情報の中に、光るものもあったりする。こんな経験を重ねながら、僕は、真の情報を掴む感覚を磨いているのである。

 

また、これは僕の好みでもあるけれど、情報について、その裏にある解釈や深掘りや時代背景などを吐露してくれるのをよしとしている。なぜなら、そう言う事を言えるのは、その人が自身が自分の経験と頭で考えているからである。勿論、その解釈に間違いや勘違いがあるかも知れない。しかし、それも含め、僕自身の世の中を見る感覚を育てるのにとても役立っていると思っている。

 

現代の様に、情報があられる時代だからこそ、情報の渦に流される事なく、洗脳されることもなく、自分の足で立ち、自分の頭で考える為に、日々の切磋琢磨が必要である。なぜなら、自分で考えない、洗脳されやすい人こそ、世の中を分断させ、争いを生み出す手先として利用され、住みにくい危険な社会を作る元になるからである。